●コンコルド協定---分裂前史
1950年から、現在に続くF1グランプリの歴史はスタートしたが、度々エントラント側であるチームと主催者側との間で争いがおきてきた。いざこざの原因は常に「金銭」だった。
例えば、これはF1グランプリに限らず、集客力のあるプロのモータースポーツには、グリッドに並んだ時点で権利が発生するスターティングマネーと呼ばれるギャランティが存在する。
ところが1970年までは、F1でも参加チームが個別に主催者側や各国のテレビ局とスターティングマネーの交渉を行ってきた歴史がある。当時は額面もチームそれぞれに違っていたというし、年が変わると金額が上下することも珍しくなかったという。
そんな煩雑かつ非効率的な交渉を1971年から各チームの代わりに代表して行う団体が誕生。それがFOCAと呼ばれるF1コンストラクターズ協会だった。イギリス系のコンストラクターを中心として構成されたFOCAの代表は、当時ブラバムのチームオーナーだったバーニー・エクレストンと、マーチの代表者だったマックス・モズレー。
一方、競技の統治団体であったFISA(現FIA)側にはフェラーリを筆頭としたヨーロッパの自動車メーカー系チームが加担した。
やがてFISAとFOCAは激しく対立し、F1グランプリは度々ボイコット騒ぎなどを起こして混沌とした。
そんな争いに終止符が打たれたのが1981年のこと。FISA側とFOCA側が2007年までのF1運営方法を協議して文書に調印した。このとき交わされた調印書がコンコルド協定と呼ばれるものである。
●コンコルド協定---分裂前史
●GPWC発足、歴史は繰り返す
●フェラーリの変節
●プライベーターはエンジン供給次第