【池原照雄の単眼複眼】機は熟したのか、ホンダのF1復帰

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ホンダF1復帰発表のようす
ホンダF1復帰発表のようす 全 13 枚 拡大写真

リーマン後に「休止」ではなく「撤退」

ホンダが2015年シーズンから4度目となるF1への挑戦に踏み出す。5月16日に本社で行なった復帰発表会見には300人ほどの報道陣が詰めかけ熱気に包まれた。だが、4年半前の「撤退」会見の印象が今なお強く残る者としては、複雑な思いで会見場を後にした。

ホンダがF1第3期として戦ったのは2000年から08年。この間優勝したのは06年のハンガリーGP(ドライバーはジェンソン・バトン)のみだった。08年9月のリーマン・ショックを引き金とした金融危機で一気に自動車産業の経営環境は悪化、この年の12月に福井威夫社長(当時)はF1からの撤退を決断・発表した。

すでにホンダのチームが来季に向けた準備を進めているさなかの苦渋の決定だった。レース活動に強い情熱で取り組んできた福井社長だけに、発表文を読み上げる際、一瞬絶句したシーンが忘れられない。それまで、ホンダは2期のF1活動を中断させてきたが、その2度とも「休止」という言葉で幕を下ろしていた。

リソーセスの転換で苦境乗り越える

しかし、08年の会見で福井社長は「撤退」という表現を強調した。将来の復帰の可能性は「今語るべきことではなく白紙」と述べたものの、「ああ、これでホンダはもうF1に戻ることはないのだろう」というのが、率直な印象だった。それだけ、金融危機のダメージが世界を暗く覆っていた。

撤退によって、当時350人から400人だったF1に従事する人的リソーセス(技術者)を、製品開発に振り向け、難局に立ち向かうというのが、福井社長の説明だった。そして「3年あるいは5年後にホンダの商品や技術での成果をお見せし、(撤退の決断が)評価されるようにしたい」と話していた。

その後、超円高、東日本大震災、タイの大洪水と試練が続いたものの、09年にバトンを受けた伊東孝紳社長のもとで、苦境を乗り越えてきた。軽自動車の復活や今年から本格化するハイブリッド車(HV)の新シリーズなどは、少なからずF1からのリソーセス転換が奏功したものと評価されよう。

600万台への試金石となる3代目フィット

だが、果たしてこのタイミングでF1に戻るほど、本業での激しいグローバル競争を戦い抜ける態勢は整ったのだろうか、とも思う。伊東社長は、2016年度に4輪車の世界販売を600万台(12年度実績401万台)に拡大するという高い目標を掲げ、社員をグイグイ引っ張っている。

その道筋をつけるのは、今年秋に日本から順次投入される3代目の『フィット』シリーズとなる。グローバルでの開発分業、同期化する市場投入、生産体制など、全てが新しい事業展開方式に移行する試金石でもある。

F1への復帰は、伊東社長が熟慮に熟慮を重ねた結論であり、レース活動を通じた人材の確保や育成といったホンダならではの「人づくり」という、外部の人間にはなかなか理解しづらい力学も作用しているのだろう。

第4期への挑戦が、さすが「したたかな決定だった」となるよう期待したい。そのためには2年後の今ごろには、マクラーレン・ホンダのマシンだけでなく、フィットも快走を重ねていなければならない。

《池原照雄》

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