TTのオリジンはポルシェ!?…アウディジャパン、バウハウス100周年記念トークショー

SWdesign代表で元アウディデザインデザイナーの和田智氏
SWdesign代表で元アウディデザインデザイナーの和田智氏全 19 枚

アウディジャパンは「Audi TT 20 years presents ”bauhaus 100 japan Talk Live”」を去る7月29日に、東京都世田谷区の二子玉川ライズで開催。

デザイン評論家・武蔵野美術大学名誉教授でありバウハウス100周年委員会委員を務める柏木博氏と、SWdesign代表で元アウディデザインデザイナーの和田智氏が、ドイツの造形芸術学校バウハウスと日本導入20周年を迎えたアウディ『TT』をテーマに、デザインについて語った。

バウハウスとは「建築小屋」

「2019年はバウハウス開校100周年という記念の年であると同時に、初代TT日本導入20周年記念の年でもある。アウディは非常にデザインを重視しているので、今回このようにバウハウスとコラボレーションしながら、デザインについて、またデザインが人にとってどういう意味があるかというトークショーを開催することを意義深く感じている」と、アウディジャパン代表取締役社長のフィリップ・ノアック氏の言葉で始まったトークライブ。

最初は柏木氏によるバウハウスの歴史とその思想が述べられた。その語源は、「“バウ”とは建築の意味」としたうえで、「ドイツでは大きな建築物を作る時に、その横に設計図を置いて職人たちや建築家と打ち合わせをする、事務室のような建築小屋を作る。これを“バウヒュッテ”と呼び、それをもじってバウハウスというようになった。そこにみんなが集まって協力しながら、ものを作り上げるというバウハウスのベースとなるという考え方がこのネーミングの中に込められている」と説明された。バウハウス(1928年、デッサウ)バウハウス(1928年、デッサウ)

新しいことが正しいとは限らない

続いて登壇したのはSWデザイン代表で、元アウディデザイナーの和田智氏だ。そのテーマは“継承と人”。「歴史を通してどうやってTTに出会い、アウディデザインと向き合っていたかという話だ」と口火を切った。

「私の父は生粋のエンジニア。もちろんクルマはドイツ車で小学校1年生の時にはVW『ビートル』に乗っており、その後アウディに。ポリシーとしてメルセデスは嫌、主流となるものは嫌だという教育の中で育った。私自身も少しアンチ好き、そんな中でアウディに行くようになった」と幼少期を振り返る。そして、「1998年から2009年の約11年半、アウディデザインで多くの作品を残すことができた。未だに“ラブアウディ”だ」という。

そのアウディで学んだことについて和田氏は、「デザインとは時代を表す社会の鏡である。デザインとは人や社会が成長するためのひとつの方法である。デザインとは倫理であり、学習である。デザインとは文化・ビジネス育成のための教育の場である。デザインとは文化的情緒的なビジネスである。まさしく日本のデザイン教育でなされていない部分になるかもしれない」とコメント。そして、「デザインにとって一番大切なものは、人にとって一番大切なものは、あなたはなぜデザイナーなのか、これらをいつも自問自答している」と述べた。

和田氏は、「競争のための技術革新が繰り返されるが本当に人間のためになっているのであろうか、競争はいつまで続くのであろうか、心が置き去りにされてはいないだろうか。日本の企業の中には『今まで見たことのないものが良いデザインであり、売れる』という間違った思想がある。新しいことが正しいとは限らないし、一番求められていることでもない。その『新しい』は人を幸せにできるか。これがドイツで学んだことだ。ドイツでのデザイナーの大きな役割のひとつは、その企業、ブランドの持っている想いや哲学を継承し、新たな翻訳・解釈を創造すること。『美しい』は100年経っても古くならない。『新しい』はあっという間に古くなる」など、氏のツイッターで上げたフレーズを紹介し、「私はこんなことを今の社会に対して感じ、なおかつ今回のバウハウス100周年を顧みた時に、原点回帰の時代が来たのではないかと考えている」と話す。VWゴルフ初代VWゴルフ初代

アウディとの出会い

和田氏は武蔵野美術大学でバウハウスの基本的な基礎教育を受けたデザイナーの一人だ。その時に「バウハウスのディーター・ラムスとカーデザイナーのジョルジョット・ジウジアーロの二人に心を奪われた。プロダクトデザイナーになろうか、カーデザイナーになろうかという決断を迫られるような状況に至るのだが、私はバウハウスの理念ともなる状況の中で教育を受けた人間だ」という。

そしてジウジアーロの作品のひとつ、VW『ゴルフ』を大学3年生の時に入手。「ミニマルなデザインとして、今の近代モダンデザインの典型ともなるクルマのデザインだ。1カ月に1回壊れるような中古だったが、誇らしかった」と振り返える。

その後和田氏は日産自動車に入社。デビュー作品は初代『セフィーロ』だった。その功績が認められ1989年から1991年までロイヤルカレッジオブアートに留学。そこでアウディから派遣されていた、ステファン・ジラフ(現ベントレーデザインディレクター)と、そして当時のアウディデザインディレクターのペーター・シュライヤーと出会い、1998年、アウディデザインに移籍したのだ。ポルシェの“原型”、タイプ64ポルシェの“原型”、タイプ64

TTとポルシェの関係性

和田氏と初代アウディTTの出会いは、アウディデザインにおいてだった。「モデル場で初めに見たクルマがアウディTTのカブリオレだった。その向こうには素晴らしいデザインの『A2』が置かれており、その先にはTTクーペが置かれていた。まさしくこのクルマが私を出迎えてくれた。強烈なインパクトと共に、これからデザイナーとしての新しい時代を私自身も迎える、という挑戦状のようなものを投げつけられた感覚だった」という。

初代TTは当時のデザイン部長のペーター・シュライアーと、ドイツのチームが生産モデルを担当。このTTはアウディDKW『モンツァ』がデザインのモチーフとアナウンスされている。しかし和田氏は「色々な要素、私の好きなライトのディテールなどのチャーミングさなどが、ポルシェの第1号機と感覚が似ている。因みにこのデザインをしたのはフェルディナント・ポルシェだ」と考えを述べる。

その背景について和田氏は、「VWアウディアメリカのデザインチームの二人、Jメイズとフリーマン・トーマスがTTのオリジナルを作った。Jメイズはペーター・シュライヤーの前のデザインディレクター。後にはフォードの副社長にまで昇りつめた人物で、VW『ニュービートル』を生み出した男だ。その右腕がフリーマン・トーマス。ドイツ系のアメリカ人で、元ポルシェのデザイナーなのだ」と明かす。

和田氏によると、「フリーマンには、フェルディナント・ポルシェが作った原型を世の中に蘇らせたいという気持ちがどこかにあったのではないか、と推測している」としたうえで、「後にフリーマンはTTの原型たるオープンの1/4クレイモデルをDr .ピエヒに提案。因みにピエヒはフェルディナント・ポルシェの家系の人物で、ピエヒはそのモデルを見てこのまま作れと即決したそうだ。そんなプロジェクトはめったになく、大体はコンペティションを経て勝ち抜いたクルマだけが生産される。つまりピエヒはポルシェ家の血を感じたのだ。事実かどうかは分からないが、多分そうではないかと考えている」と述べた。

その後クーペがフランクフルトモーターショーで、その2カ月後、東京モーターショーでロードスターが発表されたのだ。

のちにフリーランスデザイナーになったフリーマンの言葉を引用して、「良いデザインは誠実さから始まり、難しい質問を投げかけ、コラボレーションから、そしてあなたの志を信じることから生まれる、と語っている。当時のアウディデザインはピュアであった。今の自動車界にこの言葉はどこに行ってしまったのか、そう投げかけている。全世界のカーデザイナーはもう一度この初代TTを見るべきだ。なぜならばピュアであるからだ。本当にポルシェを愛し、ポルシェというブランドを離れても、シンプルで存在力のある、そしてあたかも初めてのポルシェのような姿を、この中で写し出したのではないかと感じている」とした。アウトウニオン・タイプCアウトウニオン・タイプC

デザインとは敬意と継承

和田氏はアウディでシングルフレームグリルをまとった『A6』をデザインする。そのデザインの裏にはあるストーリーが隠されていた。「このクルマのシングルフレームのオリジナルはフェルディナント・ポルシェがかつて設計した、アウトウニオンのレースカーのグリルをモチーフとしている。その意味では私は完全に時代を超えて、フェルディナント・ポルシェとコラボレーションさせてもらった。その作品がA6だ」と話す。

そこに至るストーリーについて和田氏は、「ペーター・シュライアーからワルター・デ・シルヴァにデザインディレクターが変わり、彼は私の父親のようなディレクターだった。私がデザインスタジオで絵を描いていたら彼が、“智、ここにいなくてもいい、近くにアウディが持っているデザインミュージアムがあるので、そこに机を持って行って絵を描け。そこで智にとって最も響いたもの、何か声を響かせているものを探し出してそれを継承しろ”といわれた。ディレクターとはこういうものなんだと初めて知った」とその時の気持ちを話す。

「日産では新しいもの、他とは違ったものをデザインしろといわれ、ずっと新しいものを信じ続けてきており、日産時代にその『新しい』に疑問を持ったことは1回もない。新しいデザインをしなければいけないということが普通だった。それが当たり前のことで、デザイナーとはそういうものだと植え込まれていた。それがアウディに入ったら真逆なことをいわれる。博物館に行け、昔の先輩の声を聞け。そうしたら声が聞こえて来たのだ。デザインの本質はそこにあるのだ」と和田氏。

例えば初代TTに用いられたフューエルリッドのデザインは現行TTでもモチーフとして採用されている。「こういうディテールの中にも継承性を持たせ、過去のデザインに敬意を持って接するという行為は、少なくとも日本の会社には見られない。デザインとは敬意であり継承でもある。アウディはこれを実践している会社なのだ」という。

そして、「教育とはそういうものだと思う。当時30歳代後半ともなる人間がそんなことも知らなかったのか、とすごく恥ずかしい思いだった」といい、「過去の出来事の中にそこに育まれている人の精神が、この初代TTの中にもまだまだ息づいている。単純に、これは古いクルマだね、で終わらせるのではなくて、このクルマが、何か語っていることがあるのではないかと感じられることが一番重要なこと」と語る。

最後に和田氏は、「こういった原点回帰は、実は私はアウディから学んだキーワードで、今も全て同じ手法でデザインしている。私の生涯、看板としてカーデザイナーの和田智は消さない。死ぬまでクルマのデザインをする」と結んだ。アウディTT初代アウディTT初代

デザインは人なのだ

柏木氏と和田氏のトークセッションで、柏木氏よりバウハウスの将来を問われると和田氏は、「バウハウスが教育機関として、ひとつの精神を時代の中で育み色々な試練を受けながら100年経った。このバウハウスが歴史的なひとつの事象で終わってしまうのは全く意味のないこと」と答えた。

「その考え方を原点回帰の中で新しい今のデザイナーがどう新しく解釈し、今の問題だらけの社会を直していけるか。そこに私はバウハウスの基本的な意味があると思う。その理由は、バウハウスはひとつのクリテリアだと考えているからだ。問題が起きた時には、社会の中でデザインというものがあまり魅力的ではなくなり、感動もなくなってしまっている。そういう時には原点に帰ってバウハウスをもう一度見つめ直し、そして新しい次の展開につなげていくということを考えて欲しい。そういう人たちが次の世の中をより良くするためにいる。結局デザインは人なのだ」

今回のイベントは20組40名の募集に対し300組を超える応募があり、その期待に応える内容となっていた。

アウディジャパンは、バウハウス100周年を機に開催される巡回企画展「開校100年 きたれ、バウハウス ~造形教育の基礎~」を協賛。新潟市美術館(2019年8月3日~9月23日)を皮切りに、西宮市大谷記念美術館(2019年10月12日~12月1日)、高松市美術館(2020年2月8日~ 3月22日)、静岡県立美術館(2020 年4月11日~5月31日)、東京ステーションギャラリー(2020年7月17日~9月6日)の、国内5カ所の美術館で開催される。

《内田俊一》

内田俊一

内田俊一(うちだしゅんいち) 日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員 1966年生まれ。自動車関連のマーケティングリサーチ会社に18年間在籍し、先行開発、ユーザー調査に携わる。その後独立し、これまでの経験を活かしデザイン、マーケティング等の視点を中心に執筆。また、クラシックカーの分野も得意としている。保有車は車検切れのルノー25バカラとルノー10。

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