【ホンダ S2000 生産終了】「ユーザーに背中を押され10年続けることができた」…シャシー開発責任者 塚本亮司氏

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【ホンダ S2000 生産終了】「ユーザーに背中を押され10年続けることができた」…シャシー開発責任者 塚本亮司氏
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ホンダの創立50周年記念モデルとして誕生した後輪駆動(FR)、オープンボディのリアルスポーツ「S2000」。今年4月で発売後丸10年を超えるロングライフモデルだが、今なお日欧米はじめ世界市場で引き合いがあり、生産完了することが決定されるやファンから名残を惜しむ声が多数寄せられるなど、スポーツカーとしての存在感は少しも失われていない。さらに先頃ホンダでは、S2000の最終モデルをプレゼントする「S2000 Final.」キャンペーン(※)の実施も発表。ホンダ・スポーツの10年を背負ってきた存在として、最高の花道を用意したかたちだ。

それにしても、S2000が長年にわたってスポーツカーファンの熱狂的な支持を集めてきたのはなぜか。その大きな理由のひとつとして挙げられるのは、ホンダの技術陣のスポーツカーに対する思いが存分に盛り込まれた、妥協なきモノ作りを感じさせるクルマであったということだろう。『NSX』などの開発を経て、S2000の車体開発テストを担当した本田技術研究所の塚本亮司氏に話を聞いた。

◆10年続くとは考えていなかった

----:ホンダの創立50周年記念モデルとして発売されたS2000。早いもので、この4月でデビューからもう10年以上が経ちました。

塚本亮司氏(以下敬称略):本当にあっという間に10年が経っていたというのが正直なところです。もともとS2000は、当初の計画では10年ものあいだ継続販売する予定ではありませんでした。50周年記念車としてある程度の数を売り、限定モデルに近い形で終了するものと考えていました。

ところが、発売してから年月を経ても、世界のユーザーの皆様から熱い支持をいただけていたため、次第にS2000を長期間売り、そのあいだにより魅力的なモデルに育てていくという方向に変わっていったのです。これまで世界の多くのユーザーに乗っていただきましたが、中には発売当初に初期モデルを買い、後に改良型のモデルへと、2台乗り継いだというケースも少なくありません。

----:通常量産車は、早いものでは4年、長くても6〜7年ほどがモデルライフで、発売から時が経つにつれて商品としての魅力は失われていきます。S2000が10年にわたってユーザーからこれだけ熱い支持を受け続けたのは、驚きですね。

塚本:現在の社会環境において、スポーツカーは商業的にも社会的にも、作るのが次第に難しくなってきています。そのような状況のなかでスポーツカーをあえて作り続けるには、限定モデル、ロングライフモデルのいずれかを目指すことになる。

S2000を開発していた当時は、どれくらいのモデルライフになるかまでは考えを至らせていたわけではありませんでしたが、クルマ作りについては50周年記念車ということもあって、本質的に価値のあるスポーツカーとは何かということについては本当に真剣に考え、それを実現させるためのモノ作りをやった。振り返ってみれば、それが長年にわたって色褪せない物を作るということだった。S2000はわれわれ技術者にとっても、本当に得難い経験と見識をもたらしてくれたモデルだったのです。

◆ネイキッドスポーツのような人とクルマの一体感を追求

----:ホンダにとっては60年代のS500、S600以来、およそ30年ぶりとなるFRプラットホームが専用で与えられたことをはじめ、少量生産モデルとは思えない力の入れようでした。S2000を通じて実現しようとしたスポーツカー像とはどのようなものだったのでしょうか。

塚本:コンセプトは至ってシンプルなものでした。要は、運転して感動できるスポーツカー。頭の中でイメージしていたのは、ネイキッドスポーツの軽快な運動性性能。無駄を排した軽量な車体を持ち、速いだけでなく操縦性にも優れ、しかも風を感じながら走れるオープンボディ。開発における努力や工夫は、すべてそれを実現させるためにあったと言えます。

スポーツカー作りというのは、単に速い車を作るということではありません。大事なのは“感じる”こと。加速、減速、コーナリングなど、ドライビングのすべての要素について、クルマがどのくらいの力を出していて、どのくらいの力がかかっているかということがドライバーに正確に伝わり、ドライバーが操作系を通じて伝えた意思にクルマが正確に反応する。そういう人とクルマの一体感が大切なんです。

----:体感する歓びが得られるということは、ドライビングを楽しむための重要なファクターです。

塚本:S2000を開発していた当時、世間では家庭用ゲームやアーケードゲームでバーチャルドライビングが流行していました。それはそれで楽しいのでしょうが、S2000の楽しさはまさにゲームと対極のもの。リアルワールドで走ることを実感できるスポーツカーを目指したのです。

たとえばオープンボディ。走りの性能を追求するためには、クローズドボディにしたほうが有利だという意見が出されたこともありましたが、開発チームとしては、オープンエアでしか味わえない爽快な気持ちよさはS2000を作るうえで絶対に外せないということで、オープンを貫きました。

単にオープンにするだけでなく、ドライバーに風が気持ち良く感じられるように、風の巻き込みについてもチューニングを工夫しました。最近のコンバーチブルモデルの多くが風をシャットアウトしているのとは、オープンの考え方も違う。

◆開発最終段階でもボディ変更

----:オープンボディ、しかもホンダとしては経験の浅いFR方式で走りの性能や質感の基本となる高性能ボディを作り上げるのは、簡単ではなかったのでは。

塚本:もちろん簡単ではありませんでした。が、S2000のプラットフォームは専用設計で、オープンボディをできるだけ軽く、しかも強度、剛性はクローズドボディ並みに強く作るという明確な目標がありましたから、開発の方向性がぶれるということはありませんでした。

その好例がセンタートンネルをボディ構造材として利用し、オープンボディの剛性を大幅に高めるハイXボーンフレーム構造。オープン2シーター専用ボディで、他のモデルとの共用を一切考えなくてよかったから、ボディの構造材の剛性変曲ポイントをできるだけ少なくしたいという理想をシンプルに突き詰めていくことができ、このアイデアに辿り着いたのです。

もっとも、最初に作ったボディは目標重量をオーバーしていました。ボディのなかでどこを削り、どこを補強すればクローズドボディなみの剛性を確保しながら重量を落とすことができるのか、工夫に工夫を重ねました。

----:目標が明快、シンプルだと、課題を突破するために力を結集しやすいのですね。

塚本:いやいや、そこからが難産だったのですよ。そうして作り上げたボディに走るための最小限の装備を実装したテスト車両の第一号車が完成したのですが、テストコースで走らせたときには、一発目から剛性感の素性の良さやFRの気持ちよさは十分にありました。これはいいスポーツカーになるぞと。

ところが、プロトタイプをヨーロッパに持ち込み、超高速で運転してみたら、日本ではハッキリしなかった200km/h以上でのスタビリティ(安定性)など走りの課題が浮かんできた。われわれはその問題を解決するため、ホイールベースと全長を延ばしてエアロダイナミクスを改善し、それに合わせてリアの造形も変更しました。

----:プロトタイプが完成して試走段階に入ってからそんな大きな変更を!

塚本:デザインがおおむね固まってからそんな大変更をすることは、普通はほとんど例がないのですが、低速から最高速までドライビングの楽しさを味わえるスポーツカー作りを目指す上で、妥協は絶対にしたくなかった。

スタビリティだけでなく、走りの楽しさを演出するハンドリングやアクセル、ブレーキングなどのレスポンスのチューニングにも心血を注ぎました。単に反応の早さだけを追求するのではなく、たとえば加速するときにGが一気に立ち上がってから等加速度運動にどう収れんさせていけば加速が爽快に感じられるかといった、まさに走りの良さを感じるためのチューニングを追求したんです。われわれはそういう分野を“感覚性能”と呼んでいました。

◆“S”はホンダのクルマ作りの原点

----:99年、市販モデルがデビューしたときのユーザーの反応は。

塚本:S2000は、快適性が重視されていた当時の世界のオープンスポーツのトレンドとはおよそ異質なクルマになりました。正直、少しスパルタンすぎたかなとも思いました。ATすら結局作ることはありませんでしたし。ところがいざフタをあけてみると、コアなホンダファンを中心に多くのユーザーがS2000 の“過激”な部分をポジティブに見てくれました。それどころか、もっと過激なほうがいいという声すら少なからず聞かれたほどです。

モデルライフ途中で日本と米国についてはエンジンの排気量を2リットルからトルク重視の2.2リットルに変更したりと小変更はありましたが、リアルオープンスポーツというキャラクター、スタイリングなど、大きな部分はほとんど変わらずにここまで来ることができたのは、ユーザーの皆様に支持していただけたからだと思います。

----:ユーザーの声はクルマ作りにも影響するものなのですか。

塚本:影響は大きいですよ。自動車メーカーはユーザーの皆様がいてこそ存在意義がある。お客様がスポーツカーを待ち望めば、確実に背中を押される。

S2000は今年6月で生産を完了しますが、こういった移動そのものが楽しくなるようなクルマを作っていかなければ、ホンダがホンダであることの価値はないと思います。今は経済状況が非常に厳しく、我慢すべきときですが、S2000が終わり、ホンダからスポーツが消えてしまうというのはとても残念なことです。

もちろん次世代のクルマがどうあるべきか、省資源や安全など、様々な観点から考察することは必要です。ホンダの四輪車の歴史をひもとくと、スポーツの「S(S360プロトタイプ・1962年)」は軽トラックの「T(T360・1963年)」と並び、まさしくホンダのクルマ作りの原点とも言うべき記号。そのホンダスピリットを継承した何かを、われわれはふたたび生み出しますよ。

----:スペシャルサイトを立ち上げたり、最終モデルをプレゼントするなど、販売を終えるクルマに対する施策としてある意味“常識外れ”な企画です。ですがそれらは、ホンダの“S”の系譜を引き継いできたS2000に対するリスペクトと同時に、それを新たな形で引き継いでいく決意表明をしたエピソードと感じました。それでは最後に、塚本さん個人にとってS2000とはどのような存在だったのでしょうか。

塚本:やはり本当に自分達が乗りたいと思えるクルマだった、ということですね。そういう想いを込めて作ったのですから。(了)

※「S2000 Final.」キャンペーン…S2000のサイトでキャンペーンに応募した人の中から、抽選でホンダS2000の最終モデルをプレゼントする。応募締切は7月28日17時まで。8月上旬に抽選を行い、8月中に当選者へ事務局よりE-mailによる当選通知がおこなわれる。
●「S2000 Final.」キャンペーンサイト
http://www.honda.co.jp/S2000/final/

《井元康一郎》

井元康一郎

井元康一郎 鹿児島出身。大学卒業後、パイプオルガン奏者、高校教員、娯楽誌記者、経済誌記者などを経て独立。自動車、宇宙航空、電機、化学、映画、音楽、楽器などをフィールドに、取材・執筆活動を行っている。 著書に『プリウスvsインサイト』(小学館)、『レクサス─トヨタは世界的ブランドを打ち出せるのか』(プレジデント社)がある。

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