戦前に計画されたものの実現しなかった「京浜急行線」の遺構として知られる、田町~品川間(東京都港区)の高架橋の解体工事が始まった。既に田町方の構造物が撤去されている。
京浜急行線は、現在の京浜東北線快速電車に相当する速達運行系統。東京~品川間は戦前に在来線の線路を6本敷くことが計画され、東側の2本を東海道線が使用。西側の4線は外側2線を山手線と京浜緩行線(現在の京浜東北線各駅停車)が共用し、内側2線は横須賀線と京浜急行線が共用する計画になっていた。しかし、戦時中の資材不足で工事は中断。戦後は山手線と京浜東北線の走行線路を分離するための計画に変更され、京浜急行線の計画は幻に終わった。
戦前に建設された京浜急行線用の施設のうち、浜松町~田町間に残っていたコンクリートボックス橋は東海道新幹線の建設時に撤去された。一方、田町~品川間に建設された高架橋は、鉄道線路として使われることなく放置されていたが、このほど同区間の再開発計画に伴い解体工事が始まった。12月14日の時点では、田町方が3分の1ほど撤去されている。