【安全の舞台裏 JAL】分解・検査・組み上げ…整備士学校は毎日機体のことばかり

航空 テクノロジー
中村備士(向かって右)と金谷整備士
中村備士(向かって右)と金谷整備士 全 6 枚 拡大写真
航空機を安全に空へ送り出す仕事、整備士。東京・羽田空港で活躍する、20代・50代の日本航空(JAL)整備士。ベテランと若手の2人が、整備士になると決めたきっかけ、専門学校で学んだ時代、印象に残る実技指導などについて語ってくれた。

福岡出身、51歳の中村勝美整備士は、成田職業訓練校を卒業しJALの整備士に。キャリア29年。現在は主に国際線のボーイング「787」、「777」、「767」を担当。29歳の金谷達朗整備士は、成田航空専門学校を卒業しJALの整備士に。キャリア7年。現在は主に国内線の「737」を担当している。


◆なぜ整備士を目指したか

中村整備士:19歳のとき、初めてJALの機体を見て「これは、JALの整備士になるしかない」と決めた。成田職業訓練校で2年、必死になって学科や実技を学んだ記憶がある。実家の福岡から羽田へ向かうとき、「自分が整備した飛行機に、母親を乗せたい」と強く思った。あの当時は、そう、「DC-10」(マクドネル・ダグラスの3発機)だった。

金谷整備士:高校の卒業が迫ってきたころ、手に職をつけたいという想いから、専門学校を探していた。最初は、鉄道車両の整備現場などに入るだろうと漠然と思っていた。そこへ高校の友人が、「飛行機の整備士になる専門学校もあるよ」と教えてくれた。飛行機の整備士という仕事があることを知って、電車に比べたら大きくてやりがいがある、カッコいい仕事かも、って自分なりに思った。

◆専門学校時代の思い出

中村整備士:私が通った学校は、三等航空整備士の資格をとる学校だった。年に2回、その試験を受けるチャンスがあって、夏の試験まで必死に勉強したことを覚えている。それはもう、缶詰状態での勉強。普通の学校とは違い、来る日も来る日も飛行機の話ばっかり(笑)。秋口に、先輩たちがエアラインに就職が決まり始めて、私の進路も先輩たちに導かれるように……。

金谷整備士:当時の実習は小型機がメインだった。すでに現役では使用できないエンジン実機を実習で使うトレーニングがあった。何時間もかけて分解し、非破壊検査などを経て、目に見えない傷を見極めるという実技。さらにそれを、クリーニングして、再度組み上げていくというプロセスだった。いま思うと、仲間と情報共有しながら、手と道具を動かして、機体を組んでいくという、安全へ向けた作業の基礎は、鮮明に覚えている。

JAL整備士


飛行機の仕組みを全身で体得していった二人の専門学校時代。プライベートの思い出を聞くと、中村整備士は「厳しい生活だったから、試験やトレーニングのあとは、みんなで焼き肉食べ放題店とかに行ったのが思い出」と、金谷整備士は、「利根川沿いにある学校だったから、試験が終わったり、校内のイベントが終わったりしたあとは、近くの沼に仲間と釣りをしに行った思い出がある」と語っていた。

ボーイング787 《写真提供 JAL》

《大野雅人》

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