ドルビーが自動車に本格参入する理由、立体音響「ドルビーアトモス」は何が画期的なのか

「ドルビーアトモス」のデモカーで試聴。7.1.6chによる立体音響だが、4スピーカーでの実現も視野に入れているという(撮影のためドアを開けた状態)
「ドルビーアトモス」のデモカーで試聴。7.1.6chによる立体音響だが、4スピーカーでの実現も視野に入れているという(撮影のためドアを開けた状態)全 19 枚

ここ数年来、「ドルビーアトモス」対応デバイスは、8KテレビやサウンドバーといったAV関連機器だけでなく、ノートパソコンやスマートフォンのようなポータブルデバイスに至るまで広がりを見せている。そのドルビーアトモスが、いよいよ自動車の世界に本格参入する。ドルビーアトモスがめざす車内の音響空間とはどのようなもので、一体何を実現しようとしているのか。ドルビージャパンを取材した。

立体音響技術「ドルビーアトモス」とは

そもそも「ドルビーとは何ぞや?」と聞かれてスラスラと答えられる人は、よほどオーディオのマニアでもない限り、少数派だろう。

ドルビーことドルビーラボラトリーズ社といえば、ノイズリダクションからドルビーステレオ、5.1chに代表されるドルビーサラウンドシステムなど、音響や映像の世界でデファクトスタンダードといえる技術を数々生み出してきた。

とはいえアンプやスピーカーといったハードウェアを作っているAV機器メーカーではなく、ステレオ音声に始まるマルチトラック化からサラウンド音響、ノイズ低減からデジタル圧縮に至るまで、音声や映像の録音・録画技術の規格を一貫して手がけてきた。だからこそ映画館やホームシアターに用いられるAV機器、あるいはブルーレイディスクやDVDのような記録媒体や、オンライン配信のドラマといったコンテンツに至るまで、ドルビー対応というロゴを見ない日はない。

逆にいえば、アーティストや制作者たちが現場で創り出した音声や映像が意図通りの作品として、つまり原音やマスターカットの通りに、映画館やホームシアターの機器で忠実に再生されるためのフォーマットを、ドルビーは供給するだけでなく進化させ続けてきた。その最新鋭のひとつが、2012年にリリースされた「ドルビーアトモス」で、その対応デバイスが今や家庭用のオーディオ機器やスマートフォンのみならず、車載オーディオやインフォテインメントにも入り込みつつある。

「ドルビーアトモスの特徴は、スピーカーの数に依らない立体音響技術であること。これまでの平面的なサラウンド効果のみならず、上下方向も含めた3次元空間の中で音が動かせるため、イマーシブ効果が飛躍的に高いんです」

と、ドルビージャパンのライセンス・セールスを担当する飯田泰充氏は説明する。従来の5.1chや7.1chのように、水平方向にスピーカーの数と置き場所を増やすことで得られる音響空間ではなく、周囲のXYZ座標軸にオブジェクトを配置して音を定位させることで、耳に届く音の距離感やニュアンス、空間的な広がりが明確に感じられるのだ。

PCやスマートフォンでも味わえる立体音響空間

ドルビージャパンのリファレンスルームで、ドルビーアトモスのデモ映像&音声を試聴したが、草むらを踏みしめる足音が下から聞こえる一方、頭上では身体が枝葉と擦れる音、さらに風が渡る音やそこから遠くを横切っていく鳥の鳴き声まで、まさしくその場に投げ出されたかのような没入感であらゆる音が迫ってくる。

映画館のような施設なら天井や周囲の壁に最大64個のスピーカー、128個ものオブジェクトを配置するそうだが、家の居間や車内といったホームシアターで上方スペースが限られた環境でも、反射音を利用して頭上にオブジェクトを置くことができるという。

「今では映画作品はもちろん、ネットフリックスやアップルTV、ディズニープラス、アップルミュージックといったオンライン経由のコンテンツ、ゲームなど、あるいはサッカーのプレミアリーグのようなスポーツ中継も、ドルビーアトモスによる立体音響で配信されています。制作の現場で付加したメタデータも使用しますが、特別な録音技術でどうこうする訳ではありません。質の高い原音をミキシングしてエンコードし、再生機器内でデコードされた後に出力側のスピーカーに合わせて最適なレンダリングを行い、忠実に再生されるという流れです」

PCやスマートフォンのような、ごくごく最小限のスピーカーでもドルビーアトモスがサラウンド音響空間を作り出せるのは、このためだ。もちろんクリエイターやコンテンツ制作側がその効果の虜になって、コンテンツそのものの「アトモス化」が進んでいるためでもある。

“そこにある音をそのまま届けたい”

ドルビージャパン大沢幸弘社長ドルビージャパン大沢幸弘社長

「今日も机に向かいながら、数日前にリリースされた矢沢永吉さんのリマスター音源をスマホからイヤホンで聴いていたんですが、やはり大規模ライブが得意なアーティストさんの音を、ドルビーアトモスの広がり感の中で聴くのは格別ですよ」

そう述べながら破顔一笑、ドルビージャパン社長で東南アジア太平洋地域を統轄する大沢幸弘氏は、ドルビーアトモスが生み出された背景を次のように語る。

「創業者レイ・ドルビーの言葉ですが、アーティストにしろパフォーマーにしろ、“そこにある音をそのまま皆さまに届けたい”というのが根幹にあります。ですからモノラルの時代にステレオが登場したのは画期的でした。その後の5ch、7chといったマルチスピーカーも、水平方向に包んでくれる音として無論、画期的でした。が、自然な音に包まれる体験が左右ふたつ、もしくは複数だけであるはずはありません。ですから、いつか水平を立体にしなくてはならない、という進化の方向性はあったと思います。それでマルチトラック・オーディオからオブジェクト・オーディオ方式に考え方を変えることで、ドルビーアトモスが生まれたんです。テクノロジーには大別して改善によるものと革新によるものがあって、後者は20~30年毎にしか起きないものですが、ドルビーアトモスには“そこに立ち会えた”という感慨を覚えました」

ドルビーアトモスを開発した数年後、ドルビーは4K、8Kデバイスの時代を睨んだ映像技術として「ドルビービジョン」もリリースしている。これはシネマカメラが捉えた映像を出力側のキャパシティに合わせ、動的メタデータを通じて最大限のコントラストや色表現を可能にするHDR技術。ドルビービジョン対応のプロジェクターなら従来比で500倍相当のコントラスト比、つまりメリハリが効いて諧調豊かな映像表現になる。また「ビジョン」と「アトモス」双方を実装したシアター空間設計は「ドルビーシネマ」と称され、全国各地に、ドルビーの規格に準拠した劇場が続々オープンしているという。

「やはりドルビーには臨場感への想い、体験価値の向上への追求があります。絵がよくなると音もよりよく感じられるという、1+1=2以上の相乗効果があるんです。そこが人間の感性の不思議なところでもありますが」

移動空間がそのままエンターテイメント空間になる

メルセデスベンツは今秋登場する高級モデルにドルビーアトモスを搭載すると発表しているメルセデスベンツは今秋登場する高級モデルにドルビーアトモスを搭載すると発表している

ではなぜ、ドルビーアトモスが今、自動車の中に入り込もうとしているか?大沢社長は説明する。

「これまでもドルビーは自動車に搭載されてきました。というのも車載のDVDナビゲーションでDVD再生機能があれば、ドルビーオーディオが含まれています。ですが今後、自動運転がいよいよ本格的に実現してくるであろう中で、ユーザーにとっての車の位置づけが移行し始めています。コネクテッドカーとストリーミングサービスが普及することで、移動空間がそのままエンターテイメント空間になります。その時に、革新された音、立体音響の体験が車内で当然、求められます」

すでにワーナーやユニバーサルといった世界的な配給会社から、アップルミュージックやアマゾンミュージックやタイダル、ネットフリックスやディズニーチャンネルまで、制作やストリーミング配信の側がドルビーアトモスに対応している以上、出力再生の場となる自動車の側もそうなっていく流れにあるというのだ。実際、ドルビーアトモスに対応した自動車としては、アメリカのハイエンドEVであるルーシッド『エア』(Lucid Air)を皮切りに、中国のEVメーカーであるニオ(NIO)が2車種と、デジタル・コンシャスなスタートアップのEVメーカーが中心だった。だが今秋にメルセデスベンツがドルビーアトモス対応モデルを発売すると発表しており、『Sクラス』や「マイバッハ」から順次ラインナップへの広がりが見込まれる。

「車内のエンターテイメント空間化は、世界的な動きだと思います。ドルビーアトモスが技術革新である理由は、スピーカー数を増やして超高級機材を積まないと聴けない、そういう限定された技術ではないところです。意識しなくても対応している環境に身を置けるというか、逆に対応していればアンプやスピーカーの性能を如実に反映して、明確に感じやすくなる。立体音響ですから体感、体験そのものが変わってきます。サウンドバーがそうですけど、従来的なホームシアターでサラウンド環境を構築するのに数百万円かけるといった方法でなくても実現できる体験、それが車内で可能になる感覚ですね」

4スピーカーで立体音響が可能な未来へ

「ドルビーアトモス」のデモカー。車内で7.1.6chの立体音響を体感できる「ドルビーアトモス」のデモカー。車内で7.1.6chの立体音響を体感できる

ドルビーアトモスが搭載されたデモカーで、実際に試聴することができた。車内音響の開発に用られているため、7.1.6chの天井スピーカーから音アリ状態と、7.1chの天井スピーカーの音ナシ状態という、2種類のコンフィギュレーションで、先のリファレンスルームと同じ音源となる楽曲を試聴した。

まず1曲目はヒップホップで、アーティストが自らレコーディング時にオブジェクトを積極的に操作して、楽器や効果音にかなり方向性がつけられているのだが、車内という限られた空間の中でも、音がスピード感をもって動き回ってシェイクされる効果が、明確に分かるほどだった。もう1曲はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるホーム演奏。つまりウィーン学友協会の大ホールという、実在の音響空間を忠実になぞらえた音源の再生だ。すると車内の限られたスペースを明らかに超えて、残響や各楽器の方向性まで、はっきりとした距離感や広がりをもって、車のサイズより向こうから聴こえてくる。そのため目を閉じて耳だけで感じていると、車内に身を置いていることがにわかに信じ難いほどの広がりで、ほとんど心地よい“空間失調”!?すら起こしそうだった。

ちなみに車内だからこその体感だが、天井スピーカー・オンの状態で聴く方がひとつひとつの音離れこそ優れるものの、配置上ドライバーのこめかみ辺りと対面するスピーカーからどうしても音圧を感じてしまう。逆に天井スピーカー・オフの方が、すっきりと疲れずに心地よく音に包まれる感覚が強かった。

「ドルビーアトモス」のデモカー。7.1.6chによる立体音響だが、4スピーカーでの実現も視野に入れているという「ドルビーアトモス」のデモカー。7.1.6chによる立体音響だが、4スピーカーでの実現も視野に入れているという

「そこがやはりドルビーアトモスのユニークなところで、オブジェクトを任意に空間内に飛ばして定位できる、スピーカーの数に依存しない立体音響ということです。逆にいえば、スピーカーの数が少なくても心地よい音が出せる、ということでもあります。でもそれは我々だけセッティングできるものでなく、自動車メーカーさんは無論、車載オーディオやインフォテイメントのサプライヤさんと作り上げていくものですね」

と、スピーカーシステムのセッティングを担当するシニアテクニカルマネージャーの鈴木敏之氏は語る。

アトモスに限らず、ハードウェア・メーカーではないドルビーは、制作>配信>再生デバイスのエコシステム全体に働きかけることを重視している。車内空間のドルビーアトモス対応はまだハイエンド側から始まったばかりだが、大衆車のごくシンプルな4スピーカーシステムへ普及していくことも、決して不可能ではない。もっと言えば、“吊るし”の軽自動車で映画館のような音響を楽しめる未来もそう遠くない、ということだ。

大沢社長はこう締め括る。

「いわば、アートとサイエンスを繋ぐこと、つまりアーティストの作品を視聴者に最高の感動体験として届けることが、ドルビーの使命だと考えています。上質な音楽と最高の映画がある生活というか、感動に包まれて生きていくことを提供すること。車内が音楽を楽しむのに最適な空間であるのはいうまでもありませんが、日々泣くことが少なくなった大人ほど、ふと感動して涙が出るような経験ができたら、素晴らしいじゃないですか」

《南陽一浩》

南陽一浩

南陽一浩|モータージャーナリスト 1971年生まれ、静岡県出身。大学卒業後、出版社勤務を経て、フリーランスのライターに。2001年より渡仏し、パリを拠点に自動車・時計・服飾等の分野で日仏の男性誌や専門誌へ寄稿。現在は活動の場を日本に移し、一般誌から自動車専門誌、ウェブサイトなどで活躍している。

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