■■■ 資産返却を求めて訴訟。その歴史的背景 ■■■
ルノー創業者ルイ・ルノーの孫たちが2011年12月14日、フランス共和国に対し、祖父の名誉回復と資産返却を求める訴訟をパリの裁判所に起こした。
ルイ・ルノーは第二次大戦中ナチスドイツに工業生産で協力し利益を得ていた容疑で、1944年の連合軍によるパリ解放後に逮捕・収監された。
そして逮捕1か月後、判決前に獄中で死去した。67歳だった。尿毒症などによる病死とされているが、その死については不明な点も多い。また、第一次世界大戦時の軍需生産の功労に対して彼に送られたレジォン・ドノール勲章はフランス政府によって剥奪された。
企業としてのルノーは政府によって接収され、1945年1月ルノー公団として再発足した。
今回訴えを起こしたルイ・ルノーの孫は計7名。彼らは、祖父が所有していた資産の返還を国に促すべくリストを作成。その中には、ルイ・ルノーが96.8%を所有していた同社株、ビヤンクールとポン・ドゥ・ジュールの工場のほか、特許権、開発権、パリ・シャンゼリゼや外国の不動産などが含まれている。
いっぽう今回の訴訟に関し、ルノー本社はメディアに対するコメントを控えている。
他のフランス車ブランドをみると、プジョーは今日でも創業家がPSAプジョーシトロエンやプジョーSAの経営に深く関与している。シトロエンは1934年の経営危機でミシュラン傘下に入ったのを機に一族の手を離れたが、創業者アンドレ・シトロエンの末裔は今日、歴史イベントなどにたびたび姿を現す。
そのようにいわば平和裏に現代を生き抜いている両ブランドの末裔に対し、ルノーの孫たちは過去の苦い歴史を引きずっている。
このルイ・ルノーの件は戦争によるものだが、125年にわたる自動車史を振り返ると、経営方針をめぐる行き違いなどで出資者と対立し、自ら作り上げた会社を追われた創業者は数多い。したがって意外な末裔たちが先祖の名誉回復を掲げて声を上げる可能性は、今後もけっして無いとはいえないだろう。
■筆者:大矢アキオ(Akio Lorenzo OYA)■■■コラムニスト。国立音楽大学卒。二玄社『SUPER CG』記者を経て、96年からシエナ在住。イタリアに対するユニークな視点と親しみやすい筆致に、老若男女犬猫問わずファンがいる。NHK『ラジオ深夜便』のレポーターをはじめ、ラジオ・テレビでも活躍中。主な著書に『カンティーナを巡る冒険旅行』、『幸せのイタリア料理!』(以上光人社)、『Hotするイタリア』(二玄社)、訳書に『ザ・スピリット・オブ・ランボルギーニ』(光人社)がある。