【土井正己の Move the World】震災から3年、「東北から未来へ」…驚きと感動を極めた「東北を第3の拠点に」の判断

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2011年3月セントラル自動車宮城工場(当時)を視察に訪れたトヨタの豊田章男社長
2011年3月セントラル自動車宮城工場(当時)を視察に訪れたトヨタの豊田章男社長 全 7 枚 拡大写真

まもなく東日本大震災から3年が経つ。2011年3月11日金曜日、その日のことは、今もしっかりと脳裏に刻まれている。私は、豊田市のトヨタ自動車本社の12階のオフィスにいた。その場所でもかなりの揺れを感じ、急いでテレビの前に集まり、それに見入った。そして、徐々に悲惨な状況が明かになってきた。

トヨタでは、同日に緊急対策本部が立ち上げられた。豊田本社、東京本社、名古屋ビル、そしてトヨタ東北の機械部品工場、トヨタ系列の自動車組立て会社であるセントラル自動車の宮城工場と関東自動車の岩手工場などがテレビ会議システムで結ばれ、その日から毎日2~3回の頻度で、現地の状況が刻々と伝えられた。対策本部にいつもの作業服の姿で現れた豊田章男社長は、「一に人命、二に地域、三にオペレーション(回復)」と我々に優先順位を明確に示し、陣頭指揮をとった。

豊田社長は対策本部でこうも言った「君たちは、現場に一番近い。ここで全て決めればいい。即断、即決、即実行だ。役員に報告する必要はない。役員には、『もし状況が知りたければ、この対策本部にくればいい』と私が言っておく」と。すると、次の日から、豊田名誉会長や張会長(当時)などトップ役員が会議室の隅の方の席に黙っているのを見て、驚いた。

本当に全てのことが、その対策本部の大部屋で決まっていった。当初ここで決定したのは、現地への救援物資だ。現地からのリクエストに応じて、水、食料、ガソリン、薬、おむつなど、大量にトラック輸送された。震災の翌々日には、第一弾のトラックが送りだされ、日曜にも関わらず、豊田社長をはじめ多くの従業員が救援トラックを見送った。じつは、このトラック輸送のために先遣隊が前日に複数のルートに分かれて出ており、トラックの通れる道を確認している。これは、95年の阪神・淡路大震災の時に学んだ教訓だ。

1年後に現地を訪問して知ったことだが、この食料、水は役場や病院など中心に配られ、南三陸町の病院では、患者の移送、毎日数トンの水の供給など、全てトヨタの工場職員が行ったという。

◆呉越同舟

現地の物資は徐々に揃いだしてきたので、我々の本来の役割、すなわち、「日常の経済活動」が重要になってきた。4月に入っても、しばらくは全国の工場は止まったままだった。東北には、電子部品やゴム加工品で世界最高レベルの技術を持つ会社がいくつもあり、これらが被災したためだ。ひとつでも部品がなければ、クルマは作れない。

トヨタだけでなく、日本の自動車メーカー全てが影響を受けた。自動車工業会会長でもあった日産の志賀COO(当時)は、昨年11月の東京モーターショーでのプレス発表で、当時の様子を次のように語られている。「日産の工場も被害を受けた。サプライヤーの被害も甚大だった。それだけに豊田社長から『自動車工業会を挙げてみんなで助け合って東北の復旧をサポートしましょう』と電話を頂いた時は嬉しかった。」

ここから、呉越同舟、日本の自動車メーカーは協力して、東北のモノづくり企業の復旧をサポートした。現地に出向いた社員数は延べ数千人に及ぶ。
復旧作業は、急ピッチで進んだ。「数カ月かかると考えていた作業が、現地の方と協力して、数日で完了できた」という報告が本社に伝わり、どっと沸いたこともあった。しかし、その翌日、同じ報告者から「昨夜の余震で全て駄目になった。心が折れた」と言ってきた。彼は続けた。「でも、現地の方はもっと辛いだろうから、明日からもう一度頑張ります」と。涙をこらえる声だった。

当初、年末までかかると言われていた復旧作業は、見通しを大きく上回るスピードで進み、「6月には全国の生産の7割が回復する」と5月11日に発表した。このスピードの裏には、東北の方々と各自動車メーカーの応援者の凄まじい努力、そしてドラマがあったのだと思う。

◆「東北をトヨタ第3の生産拠点にする」経済合理性

そんなある日、「東北を(編注:中部地区、北部九州地区に次ぐ)トヨタ第3の生産拠点にする」というトップ役員の判断、豊田社長の言葉が伝わってきた。正直、耳を疑った。驚きの後に感動が極めた。

さっそく、東北に飛んで、記者会見の準備にあたった。東北の方々は、私以上に驚いたことだろう。多くの工場が東北からの移転を検討する状況で、知事が何とか食い止めようとしていた最中だったからだ。

もちろん、トヨタには「東北を第3の生産拠点」とする経済合理性があった。それまでに、系列の自動車組立工場が2つあり、トランスミッション工場、ハイブリッドカー用のバッテリー工場もあった。ただ、エンジン工場がなく、また多くの部品は東北以外から運び込まねばならず、効率を悪くしていた。復旧活動支援などを通じ、「東北には優良な企業、優良な人材が豊富」をいうことが明確になったからだろう。ここにエンジン工場もつくり、ここで人材育成もすれば、東北生産の競争力が高まると会社として判断したということである。

「トヨタ自動車東日本」の設立を7月19日に発表、同日、人材育成の拠点として「トヨタ東日本学園」の建設も発表した。これまで別会社であった組立工場などを合併し、さらに新規エンジン工場建設も予定した。余震が続く中での発表で、新幹線が止まり、東京から一部のメディアの方が到着できなかった。

◆東北から日本の未来が生まれる

3年目を迎え、被災した東北の自動車産業は元気になってきた。その証はいくつもある。昨年の国内年間販売ランキングで1位となったトヨタの「アクア」は、「トヨタ自動車東日本」の岩手工場でつくられている。また、昨年8月に投入されたカローラのハイブリッド車は、宮城工場で生産されている。バッテリー工場があること、また、この地域が電子技術に優れていることから、東北はハイブリッド生産基地になりつつある。

被災した日産の「いわき工場」も予定をはるかに上回る早さで復旧をとげ、高級車搭載用の最新鋭VQエンジンをここで生産している。被災し、一人がお亡くなりになられた「本田技術研究所 四輪R&Dセンター栃木」は、「震災からの復旧ではなく、より進化した研究所を目指して」と謳い、世界最先端の環境技術などを研究している。

「イノベーション」という言葉を社会に持ち込んだシュンペーターは、「イノベーションは破壊したところから始まる」と述べた。東北が、震災によって大きな傷を負い、日本国民全員が悲しみに暮れた。しかし、ここから未来がつくりだされることは間違いない。東北の方々の「モノづくりにかける執念」は、日本のどこにも負けないものがあると思う。「東北から未来へ」、これからもこの流れを応援していきたい。

<土井正己 プロフィール>
クレアブ・ギャビン・アンダーソン副社長。2013年末まで、トヨタ自動車に31年間勤務。主に広報分野、グローバル・マーケティング(宣伝)分野、海外営業分野で活躍。2000年から2004年までチェコのプラハに駐在。帰国後、グローバル・コミュニケーション室長、広報部担当部長を歴任。2010年のトヨタのグローバル品質問題や2011年の震災対応などいくつもの危機を対応。2014年より、グローバル・コミュニケーションを専門とする国際コンサルティング・ファームであるクレアブ・ギャビン・アンダーソンで、政府や企業のコンサルタント業務に従事。

《土井 正己》

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