最初はA寝台と勘違い…姿を消した「寝台電車」583系を振り返る

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2002年11月、青森駅に到着した最後の583系特急『はつかり』。その後、JR東日本の583系は臨時快速や団体臨時列車に運用されていた。
2002年11月、青森駅に到着した最後の583系特急『はつかり』。その後、JR東日本の583系は臨時快速や団体臨時列車に運用されていた。 全 8 枚 拡大写真

またひとつ国鉄時代の名車が姿を消した。4月8日、奥羽本線秋田~弘前間で最後の運行を行なった「寝台電車」583系がそれだ。電車でありながら「夜は寝台・昼は座席」という構造で「世界初」の称号を戴いた画期的なこの車両を振り返ってみたい。

【画像全8枚】

■最初はA寝台と勘違いした3段式寝台

国鉄の寝台電車は1967年10月に581系が登場。車両基地の有効活用を図るべく、昼は座席車、夜は寝台車として活躍した。折から時代は高度成長期真っ只中。休日は日曜と祝日だけだった「猛烈サラリーマン」が日本経済を支えていた。寝台電車はまさにそのことを地で行くような時代の申し子だった。もちろん世界でも例がない車両であったことから、国鉄の車両としては珍しく「世界初」というキャッチフレーズが踊っていた。

東北本線が全線電化された翌1968年10月には583系が登場した。581系と583系は電動車(モハネ)の電源周波数の違いのみで車体は共通。583系は日本中のどの電化区間でも走ることができる「3電気方式」と呼ばれる車両だった。以来、寝台電車といえば「583系」が総称となった。

筆者が最初に583系に乗ったのは1973年の春だった。青森から上野まで乗車した特急『ゆうづる』だったが、車内に入った途端に我が目を疑った。寝台券にはたしかに「B寝台券」と書いてあるが、車内はベッドが線路と並行に並ぶ、A寝台と同じ構造だったからだ。

「ひょっとして間違ってA寝台に乗ってしまったのだろうか?」

不安になり、時刻表を何度も読み返してみても、表示されているのはB寝台マークとグリーン車の四つ葉のクローバーマークだけ。それまで乗ったことがあるB寝台といえば、ベッドが線路と直角に並んだものだったから、A寝台と勘違いしても無理はなかったのかもしれない。

しかし、ひとつだけA寝台と違う点は、寝台が3段であったことだ。A寝台は2段だ。上段は乗り込むのに躊躇するほど高い位置にある。それもそのはず、583系は床面から天井までおよそ2.7mもあるのだ。見上げるとまさに途方もない空間が広がっている。

幸い、筆者の寝台は中段だった。正直、上段は見ただけで恐怖感を感じる高さなので、中段は幸いだった。しかも、パンタグラフの下だったため、その部分だけは上段がなく、天地方向の空間は他の寝台より広かった。とはいえ、備え付けの浴衣を寝台内で着替えるには、相当身体を屈めなければいけなかったが。

583系のベッドは、それまでのB寝台とは比べものにならないほど広かった。下段は106cm、中・上段は70cmで、広さだけはA寝台に負けていない。天地方向は下段でも76cmしかないが(A寝台は113cm)、幅が52cmしかなかった従来のB寝台と比べて「寝返りを打つと転落?」という身の危険を感じないだけでもよかった。

下段からはA寝台のように進行方向の景色を眺めることができたが、それには中段ベッド底面の凹みがある窓際ぎりぎりまで身を寄せなければならなかった。その点はやはりB寝台のハンデとも言えた。

■人手不足で寝台をセットしない時代もあった

583系を使う寝台特急は、昭和40年代は増発が重ねられていたが、山陽新幹線が博多まで到達した1975年3月以降は徐々に削減の道を進む。

これは、新幹線が西へ延び、総体的に在来線の長距離列車が減った影響もあるが、寝台電車は夜も昼も走るため、寝台と座席の転換に時間がかかったことも影響していた。従来のB寝台の場合、中段のベッドを跳ね上げるだけの操作で昼間状態に転換できたし、1976年以降に新造されたブルトレ(24系25形)では、B寝台でも2段式で、しかも上段は固定となったから、そもそも転換の必要がない。合理化が叫ばれた当時の国鉄ならではの車両が幅を利かせるようになったのだ。

それに比べて、583系は荷物棚を折り畳んだり、重いベッドを引きずり出したりという複雑な工程が必要で、転換作業は大変な重労働だった。なにせ2.7mもの高さがあるから、作業員はアクロバット的な姿勢を余儀なくされた。そのため、営業運転中の転換作業はほとんど行なわれず、1975年以降はもっぱら車両基地で転換作業が行なわれるようになった。

寝台電車の作業がいかに大変だったかという点ではこんなエピソードもある。

1976年に寝台の転換作業を行なっていた車掌補と言われる職種が廃止されたため、上野~青森間の夜行特急『ゆうづる』では、一時期、寝台をセットせずに座席のまま運行されていたことがあった。

寝台をセットしない措置は、1993年から1994年まで上野~青森間の特急『はくつる』でも見られた。しかし、このケースは人手不足が原因ではなく、相次いで廃止された夜行急行利用客の救済の意味があった。両数も1両のみだった。また、1985年から2013年まで583系で運行されていた大阪~新潟間の『きたぐに』でも見られたものの、こちらはそもそも自由席の需要がある急行だったため、座席車を提供するのは当然だった。

『ゆうづる』は寝台を原則としていた夜行定期特急であったから、前代未聞の寝台のない「寝台電車特急」は、赤字に悩む国鉄のサービスダウンとも揶揄された。

■「重い・速い」が仇となった583系

本来は効率的な運用のために生まれた583系だったが、メインとして活躍していた時期は意外と短かった。重量が仇となっていたからだ。

同じ電車でも、国鉄型特急電車のスタンダードと言われる485系は12両編成で自重約500トンであるのに対して、583系は13両編成で自重約560トン。583系の場合は付随車が1両多くなるが、それをカットしても約30トンも重い。しかも、583系の最高速度は120km/h。主舞台となっていた東北本線はカーブや勾配も多いから、583系の「重い・速い」は線路保守上、大変な負担となった。

国鉄に本格的にオールステンレス車体が現れたのは1985年以降であるし、アルミ車体に至っては、本格的な量産はJR移行後のこと。自重の大小はそのまま線路保守のコストに跳ね返ってくるわけで、車体の軽量化は民間のJRにとっては喫緊の課題だった。

このような経緯から、JR東日本の583系は2002年12月のダイヤ改正を機に特急列車から撤退。その後、定期列車として残っていたのはJR西日本の583系のみとなったが、こちらは急行『きたぐに』廃止後の2013年度に1両を残して廃車された。そして、今回、JR東日本秋田車両センターに最後まで残っていた6両編成1本が引退したが、定期列車としての運用がなかった奥羽本線が最後の舞台となったのは意外だった。

■北海道に存在する583系の遺産

583系は引退してしまったが、幸い、京都鉄道博物館(京都市)や九州鉄道記念館(北九州市)では先頭車が保存されており、かつての雄姿を拝むことができる。また、保存車ではないが、実は北海道にも583系の名残が存在する。現在は「トロッコ王国美深」の発着場となっている旧国鉄美幸線仁宇布駅構内にサハネ581形が1両残されているのだ。

これは、国鉄の分割民営化時にJR北海道へ渡った7両のうちの1両で、車体は活用されずに終わったものの、台車だけはリゾート列車「クリスタルエクスプレス」の2階建て車両に使われている。583系の遺産が、縁もゆかりもない北海道の車両に残っているというのも不思議な話だ。

《佐藤正樹(キハユニ工房)》

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