二輪業界で働くバイク女子に色々聞いちゃうこの「二輪のお仕事教えて!」。 第4回目は、フリーランス フォトグラファーとして二輪メディアを中心に活躍する藤村のぞみさんです。(2018.9.3公開)
----:バイク雑誌を中心にフォトグラファーとして活躍されている藤村さんですが、昔からバイクの写真は撮ってたんですか?
藤村 じつはスタートは写真でなく映像でした。私、MTV世代なんですが、学生時代はミュージッククリップを撮りたくて、日本でゆいいつ写真学科のある大阪市立工芸高校に入ったんです。でも、映像ってほとんどがチームで作るんですが、私、団体行動が苦手で(笑)。その時に、写真なら一人でも撮れるなと思って始めました。
----:そうだったんですね。その頃は何を撮ってたんですか?
藤村 ポートレート、人です。
----:バイクを撮り始めたのはいつ頃?
藤村 大学を卒業してカメラマンのアシスタントをやっていた頃かな。たまたま自宅の前にハーレーショップがあって、そこに大学の知り合いの男の子がお客さんとして来ていて、偶然会ったときに一緒に寄ったんですが、そのときにショップのオーナーさんに「カメラマンやってるならバイクの写真撮ってくれない?」 と言われ、それが初めてでした。 その頃はすでに私もバイクに乗っていましたね。
----:バイクの免許を取ったきっかけはなんだったんですか?
藤村 地元が大阪なんですが、高校3年の夏休みに天王寺の繁華街を歩いてたら、カワサキのZXRを見かけて「何だコレは!」ってすごい衝撃を受けたんです。その足で、近くのバイク街に行って色々見て、そのあと免許を取りに行きました。初めて買ったのはスズキのTS125Rです。
----:少し話を戻すと、そのハーレーショップでの撮影がバイクを撮るきっかけになったってことですね。
藤村 そうです。そのとき、私は普通に撮ったつもりなのに、そこに居たみんなが「すげー、カッコいい!」とか「この角度がいい」とか言ってくれて。その感覚が当時の私には分からなかったけど、そこでハーレーに触れたことは衝撃で、その頃からオートバイのあるシーンを撮り始めました。
----:それが今の仕事に繋がっていくんですね。
藤村 その後、福岡から地元の大阪に戻り、1年半ほどスタジオでのアシスタントの仕事やフリーの仕事を経て、29歳の時に東京に来ました。しばらくは編集プロダクションに入って仕事をしてたんですが、とにかく公私ともに不安定な時期で。そんなときに、私とハーレーを引き合わせてくれた福岡の友人から電話があって「クラブハーレーって雑誌に出るんだけど見てみて」って連絡があったんです。それで久しぶりにエイ出版社のホームページを見たら、フォトグラファー募集と。でもよく見ると募集はすでに終わっていて……だけど応募締め切りが金曜夜ってことは、翌週月曜朝まで大丈夫なのではと都合よく考えて、翌週月曜の朝イチに資料を持ってエイ出版社まで行きました。
----:えーっ、アポなしですよね!?それはものすごい行動力!
藤村 日曜の夜中に、これまでの作品や資料を集めてたら寝る時間が1時間しかなくなっちゃって、だから起きられたら行こうかって感じでした。しかも、その頃はまだ編集プロダクションで働いていて、10時に出社しなくちゃいけなかったから、9時にエイ出版社に行ったんですが誰もいない! 今ならそんな時間に編集の人がいないってのは分かるんですけどね(笑)。でもたまたま朝早く出社されていた社員の方が資料を受け取ってくれて、その後、連絡があって面接に行き、入社が決まりました。
----:怒涛の展開ですね。それはいくつの時ですか?
藤村 29歳最後の出来事がエイ出版社の試験に受かったことだから、入社したのは30歳。そこから9年間、社内カメラマンとしていろいろ撮影しました。
----:エイ出版社は色々な雑誌がありますが、バイク以外も撮っていたんですか?
藤村 当時は社内カメラマンが私を入れて6人。そのあとも5人ぐらい入って来ました。ライダースクラブの創刊編集長でもある根本健さんの考えは “何でも撮れなきゃダメ”で、だからバイクに特化せず、ヨガやアウトドア、料理の雑誌などいろいろ撮影しました。そして、撮影をするなかで、写真を撮る以外にも色々なことを教わりました。あと、それまで私の中でのオートバイといえばほぼハーレーだったんですが、二輪雑誌の取材で様々なオートバイの世界に触れられたことも良かったですね。
----:ちなみにバイクを撮影する際に気を付けていることってありますか?
藤村 やっぱり走行シーンを撮る時などは周りの道路状況を考慮して、どういう風に撮影するのがベストか考えます。あと、ロケのときなどは、持っていく機材をどう選ぶのかも大事な点です。最近はいろんな機材がコンパクトになって持ち出せる機材も増えていますが、バイク移動の時は限られた機材しか持っていけないので、身ひとつになったときに何を選ぶかはそのフォトグラファーの引き出しかなと思います。何を持ってどう動くか……バイクの現場で大事なのは、とにかくフットワークの良さじゃないでしょうか。
----:たしかにロケのときなんて、急に天候が変わったりしますしね。その時に、臨機応変に対応できる方は本当に頼りになります。
藤村 最近だと、バイクにカメラを取り付けて、それをワイヤレスのリモコンで操作して撮影するなんてこともできるし、そういうセッティングがそれぞれの個性になっていますね。
----:20年前は考えられませんでしたからね。
藤村 私が写真を始めた頃はまだフィルムでしたから、撮影をしたらフィルムを現像に出して、上がったらビューワーでフィルムチェックしてという感じ。でも、今はデジタルなのでパソコンがあれば自宅でも仕事ができます。
----:フリーランスとして独立したのはいつ頃ですか?
藤村 39歳のときです。エイ出版社には9年いて、自分的には何でも70点ぐらいのレベルでは撮れるようになったし、楽しかったので、あと数年はいられそうだったんですが、40歳目前で何か新しいことを始めてみたかったのと、あと時代もデジタルになって家でも仕事ができるかなというのもあって会社を辞めました。
----:フリーになってからはどのくらいですか?
藤村 今年で6年目です。私がもともと撮りたいのは、別にバイクではなく、バイクのあるシーンや人なんです。でも、そういう写真はバイク雑誌では大して求められない。だから自分で撮りに行くしかないんですが、最近はようやくそれが仕事に繋がってきたような気がします。今年の7月に行ってきたアメリカのカスタムショー「BORN FREE」もそのひとつです。行ってきたことをSNSにアップしていたら、記事にしたいといくつかの編集部から連絡をいただいて。
----:それは嬉しいですね!
藤村 はい。このときもフットワーク良くいきたかったので、カメラはなるべく軽いものをと思って、ライカとGRだけ持っていきました。
----:たしかにバイク雑誌だと重要視されるのはどうしてもバイクの写真になるけれど、どういう人が乗るかによってバイクの見え方は変わりますもんね。
藤村 そうなんです。写真を撮ることって独特の楽しさや魅力があって、撮る側と撮られる側で生まれる関係性があり、それが魅力だとも思うんです。写真の価値観ってそれぞれ違うと思いますが、私は“撮る”ということに責任を持ちたいと思っています。
----:今後フォトグラファーを目指したい女性にアドバイスするとしたら?
藤村 そうですね、必要なのは行動力と発信力と責任感じゃないですか。もし、バイクの写真を仕事にしていきたいと思っていたら、例えば100人のバイカーを撮って毎日SNSにアップしたら何かが変わるんじゃないですか? 今の時代だったらそれもアリだと思いますよ。
----:エイ出版社にアポなしで行っちゃった藤村さんの行動力も相当なものでしたからね(笑)。
藤村 あのときはちょっと頑張ったけど、でも無理やりそうした訳ではなく縁があったというか自然にそうなった感じかな。でも間違いなく私のターニングポイントだったと思うし、あの行動力がなかったら、こんな魅力的な世界は知らなかったと思います。
(記事公開:2018年9月3日)