【清水和夫のコロナ考 第1回】「モータリゼーションの温故知新」日欧米の自動車は何を学び発展してきたのか

コロナ後の自動車業界について、清水和夫と三浦和也レスポンス編集人が対談
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コロナショックで自動車業界はなにを失い、なにを得たか――。モータージャーナリスト清水和夫と、レスポンス編集人の三浦和也が、アフターコロナの自動車のあり方について、遠慮なしの赤裸々トーク。話は熱を帯び衝撃的な発想も……。

オンライン対談の様子を4回にわたり連載。第1回は、日本と世界の自動車産業の発展から、今そして未来のモビリティ像にせまる。

リーマンショックで学んだこと

三浦和也(以下、三浦):リーマンショック以降の自動車業界の流れ、この10年を清水さんはどう見ていますか?

清水和夫(以下、清水):リーマンショックの教訓も大切だと思いますが、温故知新ではないですが、日本と世界の自動車産業の発展の歴史についてもお話したいと思います。きっと未来のモビリティを考えるヒントが得られると思います。

三浦:はい、まずはリーマンショックから振り返りたいと思います。あのとき、高級車が軒並み売れなくなりましたね。トヨタはレクサスが打撃を受け、一気に赤字に転落しました。

清水:落ち込んだ車種はレクサスをはじめとする高級車でしたよね。とのとき、たとえば年収500万円の人が1000万円のクルマを購入するといったレバレッジ・ビジネスはやめようと業界は気づいたのです。その教訓は、「レバレッジビジネスじゃない、現実をみすえた質実剛健な自動車づくり」だったと思います。

あのとき、メルセデス『Sクラス』とかBMW『7シリーズ』から、コンパクトカーに力を入れ始めて、ジャーマン3(メルセデス・ベンツ、BMW、フォルクスワーゲン)のプレミアムブランドは、『Aクラス』『1シリーズ』『A1』といったCセグメント、Bセグメントをしっかりつくるようになってきましたよね。

三浦:リーマンショックのときは、そうした気づきでさらに販売台数も増えましたよね。

清水:たしかに。当時はスクラップ・インセンティブとかエコカー減税などの効果もあり、台数も増えましたね。さらに「小さいクルマはいい」ということも実感しました。

三浦:レバレッジ・ビジネスの次は、愛車サブスクリプションKINTOのようなシェアリングビジネス、つまりCASEのSのようなクルマの利用法がみえてきたのかなと思います。

日欧米で異なる自動車の使い方

フランクフルトモーターショー2019フランクフルトモーターショー2019
三浦:昨年(2019年)のフランクフルト・モーターショーで、市販モデルの値札に月額料金が記してました。こうした表記をみても、欧州は、クルマを所有するのではなくリースが主流なのかなと思いました。モーターショーの新車展示は、「一か月にどれぐらい走るか」とか、「どれほど燃料費がかかる」とか、「どれくらいCO2を排出するのか」といった記載がありますよね。

清水:そうですね。欧米の自動車の使い方は、日本以上に実利主義ですね。さらにドイツでは大きな企業は法人需要が多いと聞きます。しかし、日本の場合は「クルマは所有」という前提に立って発展してきました。昔は3C(カー、クーラー、カラーTV)を持つことがサラリーマンの夢でしたね。戦後復興の豊かさの一つがマイカー(所有)でした。

しかし、欧州の場合は、公共交通があまり発達していないなどの理由から、マイカーでの移動が日常に的です。そのために戦前から道路網が整備されてきました。これはもっと昔のキリスト教巡礼の影響もありそうですね。

三浦:なるほど。欧州の人たちは所有するプレミアム感というよりは、実用性、所有ではなく「利用」を意識してると。

清水:「アメリカはもっと質実剛健で機能主義でクルマを選んでいる」と元スバルオブアメリカ社の日月(たちもり)社長は仰ってました。国土が広いので欧州以上にクルマへの依存が大きく、もっと遠くに移動するときは航空機ですね。しかし日本では二極化してました。軽カーは国民車として、市街地の生活の移動に役立っていますが、大都市ではあこがれや趣味的な視点でみられがちですよね。つまり利用欲ではなく所有欲が勝っているのだと思います。

モータリゼーションの温故知新~ドイツのもの作り

ダイムラー初期の4輪自動車(1886年)ダイムラー初期の4輪自動車(1886年)
三浦:ヨーロッパの自動車発展の歴史についてはどうでしょうか?

清水:もともとガソリン車をつくったのは、ドイツのカール・ベンツとゴットリープ・ダイムラーですが、普及のための量産車一号はアメリカのT型フォードでしたね。20世紀の自動車普及を後押ししたのは、高速道路網の整備でした。ドイツはアウトバーンができて、アメリカはハイ・ウェイが整備され、20世紀のモータリゼーションを支えてきたわけです。

三浦:自動車だけでなく、戦前の工業化の進み具合はどうだったのでしょうか?

清水:以前に東海大学で講師をしていたとき、自動車技術史を講義していたことがありました。個人的にも興味があったので、世界中のミュージアムを取材しました。一番、印象的だったのはミシガン州にあるフォードのミュージアムです。デトロイト空港に近いので、是非見学してみてください。

さて、世界の自動車産業の発展過程を考える時、クルマ作りそのものがそれぞれの国の工業、産業基盤レベルに依存しているということは見落としがちな視点かもしれませんね。もっとも、これは自動車だけではなく、航空機や宇宙事業、軍事産業など高度な工業技術が必要と思われる分野にはことごとく該当するわけです。

三浦:クルマの例でいえば、鋼板を供給する製鉄産業、多用な種類のゴムや樹脂を供給する化学産業、工作機械、アルミ鋳造産業、電子/電気産業、ガラスなどの基盤が存在しなければ、自動車メーカーにどんなに優れたエンジニアがいたとしても、優れたクルマを作ることは不可能ですよね。

コロナ後の自動車業界について、清水和夫と三浦和也元・編集長が対談コロナ後の自動車業界について、清水和夫と三浦和也レスポンス編集人が対談
清水:個人的には日本の工業化はドイツと似ている部分があると認識してます。つまり、徹底して良質なモノづくりにこだわるマイスター制度(職人制度)が存在していたことがあげられます。例えば、ドイツのクルップ社、テレフンケン社、シーメンス社、ダイムラー・ベンツ社、マイバッハ社など、それぞれの分野での独創的な技術力が散在していた。なにせガソリン自動車を発明した国なので、技術へのプライドは高かったのです。

三浦:個々のものを見る限りは、トップ・レベルのものも少なくなかったわけですが、国家的なレベルでの量産体制が不十分であったことは日本とよく似ていましたね。

清水:アメリカの工業化はその正反対の政策をおこなっていました。その反省を踏まえて、戦後の日本とドイツは官民一体となった戦略だった。実はここで大切な指摘をしておきたいのですが、ドイツは官学が一体となり、先進技術を推し進めてきました。他方、日本の学(アカデミア)は、産業界と距離を置いてしまったのです。現在の日本の悩みは産学連携の弱さが露呈してしまいました。

そしてドイツの特徴的な要素としては、クルマとしての技術的なアドバンテージを常に追求し続け、戦後の高出力、高性能化のリーダーとしてのポジションを保ってきたのです。それは、いわば戦前の思想、技術の位置づけの継承といってもよいと思います。そして、少なくともドイツは、クルマに関する性能と技術では、戦後も一貫してリーダーシップを取ることができたのです。

モータリゼーションの温故知新~イギリスのもの作り

ロールスロイスロールスロイス
三浦:日本とドイツは第二次世界大戦の敗戦国だったので、戦後復興は命がけでしたね。ところで同じ時期にイギリスはどのように発展してきたのでしょうか。工業化の引き金を引いた産業革命はイギリスでしたから。

清水:イギリスの名車はミニだけではなく、ベントレー、ロールス、ジャガー、アストン、ランドローバー。なぜかイギリスのブランドは今でも健在ですね。特に高級車としてはドイツ以上の存在感があります。

三浦:しかし、イギリスの民族資本で生き残ったメーカーは存在しないというのもユニークですね。それはなぜ?

清水:その理由は案外単純な理屈で説明できると思います。自動車産業を牽引しているのは紛れもなく日本とドイツですが、三浦さんが指摘されたように、両国の共通点は第二次世界大戦の敗戦国であったので、戦後復興のために国が自動車産業を後押しました。一方、イギリス、フランス、アメリカは戦勝国。特にイギリスやフランスは中東やアフリカなどの国を植民地扱いし、「お客さまの声を聞く」という発想がなかったと思います。

三浦:なるほど。欧州と一言では言えない発展のしかただったのですね。

清水:戦前からイギリスはさまざまな分野で技術的なアドバンテージを持ってました。航空機におけるロールロイス社のマリーン倒立V12気筒エンジンは第二次世界大戦を通しての最高傑作エンジンであったし、電子技術やジェット・エンジンなどの先進的な技術を多く持ってたのですが、技術は国内分散型で、大企業に一極集中することはなかったというのが、日本とドイツとの大きな違いだと思います。

第二次世界大戦では技術分散型が守られていました。まさに国家的な危機に直面したとき、誰も予想できないほどの底力が発揮された。チャーチル首相の一声で、信じられないほど短期間に、あのスピットファイアとマリーン・エンジンを量産できたことは、イギリスの潜在能力の高さを物語っていると歴史が証明しています。

三浦:しかし戦後はまたもとのスタイルにもどってしまったのですね。

清水:戦争には勝ちましたが、戦後の工業化では負けるのです。というのは古い設備は更新されず、70年代には自動車工業さえ競争力を失って自立できなくなってしまいました。あの小さな国土に多くの小規模な自動車メーカー(ブランド)が存在し、戦後の50~60年代は光り輝いてました。

三浦:自動車の基本原理に関わる技術は、30年代までに出尽くしたと言われてますね。

マクラーレンF1(写真は2019年)マクラーレンF1(写真は2019年)
清水:はい、特許などはイギリスが多かったと思います。ガソリン自動車を発明したのはたしかにドイツであったが、トップレベルの技術を持っていたのはむしろイギリスであったと言えるかもしれません。しかし戦後になっても生産設備が思うように更新されず、量産化、多様化、高品質や低価格化に関する技術の面で遅れととり、これが経営をおびやかしたことが大きな問題だったと思います。

分かりやくいうと、日本とドイツは職人制度、イギリスはオタク(英語ではOBSESS)が多く、結果的に高級車やスポーツカーメーカーが多く点在しいました。こうした工業化事情のもとで、技術は企業主体ではなく個人のものとして存在していたと考えてます。

三浦:大量生産では日独米に後れをとっているものの,少量生産ではイギリスをおいてほかにない。ゆえにほとんどのF1チームはイギリスに本拠を構える。単品でいいものを安く作る工業風土こそがイギリスの特長なのですね。

清水:以前に、ランドローバーのベテラン技術者に、過去の親会社だったフォードとBMWとホンダから何を学んだのかと聞いたことがありました。「フォードからは利益を追求すること、つまりコスト意識を学び、ホンダからは品質や納期を守ることなどを学んでいました。BMWからはエクセレンスな技術を習得すること。もっともBMWはランドローバーから四輪駆動の技術を学ぶとすぐに我々を売ってしまった」と述べてました。この言葉がイギリスのすべてを物語っていると思いました。

第2回へつづく

ホンダとのOEMもおこなわれたランドローバー ディスカバリーホンダとのOEMもおこなわれたランドローバー ディスカバリー

《まとめ:大野雅人、監修:清水和夫》

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