日本人でパリダカ初参戦のレジェンドが語る! パリダカを走り切るために生まれた伝説のホイール『ブラッドレーV』

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LIFE IS BRADLEY vol.6
LIFE IS BRADLEY vol.6全 40 枚

オフロード界に置けるホイールのビッグネームとなる4×4エンジニアリングサービスの「ブラッドレー」。デビューから40周年を迎えて、数々の名モデルを世に送り出してきたホイールブランドだ。

そんな長い歴史の中で欠かせないのが「パリダカールラリー」(パリダカ、現:ダカールラリー)との関わり。そこで今回はパリダカに日本人として初めて参戦した久保田勝さんに登場いただき、ラリーレイドとホイール、そしてブラッドレーの優位性について当時のパリダカのエピソードを交えて語ってもらうこととした。

ジープ好きの久保田さんが日本縦断をきっかけに、海外を旅するテレビ取材スタッフへと転身する

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今回登場いただいた久保田勝さんは1981年に開催された第3回パリダカールラリーにトヨタ スターレットで初参戦。翌年の1982年にはトヨタ カリーナで2度目の参戦を果たして、マラソン部門や2WD、市販車無改造などの部門で優勝を飾るラリーレイド界のレジェンド中のレジェンドなのだ。

ブラッドレーの開発にも強い影響を与えたパリダカを合計12回も参加したレジェンド・ドライバーである久保田さん、砂漠を走るクルマへの思いなども語ってもらい'80年代のブラッドレー黎明期の世界のラリーレイドシーンとはどんなものだったのかも紹介していくこととしよう。

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ここで少し久保田さんの生い立ちとラリーレイドへとつながるパーソナルヒストリーを簡単に辿ってみる。久保田さんは広島県・福山市に住まい、若い頃からジープの愛好家としてクラブでの活動をしていた。そんな中、ジープで日本縦断にチャレンジして鹿児島の佐多岬から北海道の宗谷岬までを83時間20分で走破するという快挙を成し遂げる。そしてそれを聞きつけたグラフ誌にこの時のエピソードが掲載され、これが久保田さんにとってそれからの人生を大きく変えることになる。

この記事を目にしたのがその後のパリダカ参戦でキーマンとなる横田紀一郎さん。テレビクルーとして世界各国を取材して回る人物だった。そんな横田さんに誘われ久保田さんは東京に行きテレビ取材の世界へと飛び込むことになるのだった。

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「TBSのおはよう700という番組で海外を旅するキャラバンIIというコーナーのドライバー兼メカニックとして参加しました。それからの数年間はサハラ砂漠をはじめ世界各国を走りましたよ。辺境の土地を含めて南極以外はすべて走ったのではないかと言われるほど世界をくまなく走りました」

パリダカールラリーへの参戦が決定、車両選びやメンテナンス体制を整えていく

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「海外取材をしている最中に横田さんがパリダカに参加した車両とすれ違ったらしいんです。まだ日本では誰もパリダカのことなんて知らない時期です。そこで横田さんが詳しく調べはじめたんですが、我々も含めてラリーレイドの世界にすっかり魅了されて翌年には参加する計画がスタートして、私はドライバーとして参加することになったんです」

パリからアフリカ・サハラ砂漠を走り抜けるラリーレイドに感銘を受けた横田さんと久保田さんは、パリダカ参戦のためにTema ACPを立ち上げ、早速参戦の計画を練り上げる。初年の参戦は1981年の第3回パリダカールラリーだった。彼らが選んだ車両は今では考えられない2WD車のスターレット。さらに翌年にはカリーナ(2WD)で参戦し、マラソン部門や市販車無改造、2WD部門などで優勝を飾るという快挙を成し遂げているのだ。

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ここからは連続12回に渡ってパリダカに参戦する久保田さん。カリーナの後はカローラレビン、さらに1987年からは4WDへとスイッチ(ランクル70)して参戦。ドライバー兼メカニックであったこともあり、パリダカを走りきるためのメンテナンス能力も高めていった。もともとテレビ取材で辺境の地を走り、メカの経験からクルマの整備には高い技術を持っていた久保田さんだったが、パリダカの過酷な環境は一筋縄ではいかないと感じていた。

「故障することが当たり前ですから修復して走り続けるためには補修パーツが必要です。そこで現地でも手に入るポピュラーな部品を使うことが鉄則でした。例えばトヨタ車ならトヨタ純正パーツもそのひとつ。純正部品なら海外でもなんとか手に入る、これがパリダカで走り続けるひとつのキーワードだったと思っています」

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また極限の状態を何度経験するラリーレイドでは現場の判断力が問われる。そんな場合にも久保田さんのメンテ能力は神がかっていた。現地でミッションやエンジンをオーバーホールするのは当たり前、さらに当時の状況を伝えるエピソードとして残っているのが“久保田は鉄を木で直すという”逸話だ。

「走行中、コクピットに甘い香りが漂いました。これはラジエター液が漏れているなーとすぐに感じてクルマを停めると案の定ラジエターに小さな穴が空いていました。このままでは次のチェックポイントまで行けません。そこで近くにあった草木のトゲを見つけてラジエターの穴に差し込んで塞いだのです」

とっさの機転でトラブルを回避した久保田さん、無事次のチェックポイントまでたどり着いたという。常人ではなかなか思いつかない判断力と言わざるを得ない。また、ある時はメタルがすり減ってしまって交換パーツが無かった。しかし久保田さんは慌てること無く、手近にあったパイナップルの缶を分解してメタルの形状に切り出し即席でメタルをワンオフしてしまったという。なんとか走り続けるためにアイデアを絞る臨機応変な考え方は、まさにパリダカの過酷な状況では必要不可欠な能力だったのだ。

新たなパリダカ参戦車両としてランクル70を選び、4×4エンジニアリングとのサポート体制が発足

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さて、ここからは少しクルマに寄った話をしていくこととしよう。久保田さん達がパリダカに参戦し始めた当時は砂漠を走るラリーレイドに適したマシン作りのノウハウは日本には無かったという。当時はスピード勝負のレースマシンを作る技術はあっても砂漠を走破するノウハウは誰も知らなかったのだ。

「パリダカで走るにはギア比から見直さないといけない状況でした。そんなこともあってパリダカに適した仕様のクルマを自分でセットアップすることにも徐々に精通していったんです」

こうしてパリダカ参戦車両は久保田さん自らがセットアップしていくことになる。

今回、もう一人の主役である石原孝仁さん。1982年からTeamACPに参加してパリダカへ参戦しているドライバーだ。彼もまた横田さんとの関わりからパリダカ参戦を誘われた人物だった。テレビマンだった石原さんは久保田さん達が参戦した1981年のパリダカを自らが担当する番組で取り上げている。これが日本のテレビでパリダカを取り上げた最初の番組となった。

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そして1987年にはベース車を4WDへとスイッチする。そこには石原さんが当時担当していた「なるほど!ザ・ワールド」という番組の企画でパリダカ参戦を実施したことが関係していた。番組がスポンサーとなって2台のランドクルーザー70で参戦することになる。1台は市販車無改造クラスの久保田さん、そしてもう1台には市販車改造クラスで石原さんがドライブすることになった。そして石原さんが乗るランクル70はその時の市販車改造ディーゼルクラスで優勝するという戦績を残す。もちろん番組でも大々的に取り上げられ日本中のお茶の間にパリダカが知れ渡ることになる。

そして1987年から参戦を開始したランクル70のセットアップを手がけたのは久保田さんだった。さらにその70のメンテナンスを任されたのが4×4エンジニアリングで、ここから4×4エンジニアリングがパリダカ車両を手がける作業が始まる。過酷な環境からのフィードバックが新しい製品開発を生み出していくルーツになっている車両でもあるのだ。

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パリダカを走る車両には想像を絶するストレスが掛かる、フレームが折れてしまうこともしばしばだという。しかし国内ではオフロードのレースでもスピード勝負であり、耐久性を重視したマシン作りは主流では無かった。それは4×4エンジニアリングでも同じだった。

しかし久保田さんがセットアップしたランクル70を見るとフレームなどの強度の必要な部分には手を加えず、耐久性に大きく影響しない部分にだけ軽量化を施していた。そんなノウハウを徐々に吸収していく4×4エンジニアリングの開発陣。ラリーレイドのノウハウハこうして同社に蓄積されていく。

ホイールに掛かるストレスが想像を絶する、実戦で走って分かったパリダカ対応スペック

足回りへのこだわりも久保田さんは徹底していた。砂漠を走るにはハイトが高く細いタイヤが有利。ワイドトレッドのアメリカン4WDイメージのタイヤでは砂漠は走れないことは経験上よく知っていたのだ。

「砂の上を走る場合にはタイヤの縦(前後)方向の面積を稼ぐのが重要なんです。そのために細くてハイトの高いタイヤを使うことがポイントでした。またリーフスプリング、ショップアブソーバーに加えて、タイヤでも路面からのショックを吸収するのも重要な要素です。そのためタイヤ&ホイールのチョイスはパリダカで特に重視されたんです」

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その中で注目された重要なファクターがホイールだった。当時は他のチームでも徐々にアルミホイールを使い始めていた時代。しかし空気圧を下げて走ることも多いパリダカではホイールに大きな負担が掛かる。走行後にはハブしか残っていないほど無残な状態のホイールもレース中に目にしたという。命に関わるパーツであるホイールなので久保田さん達も常に注目していた。

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「走行後にぐにゃぐにゃに曲がっているホイールをよく見ましたよ。ワークスチームでもホイールの傷みを嫌ってスチールホイールを使っている場合もあったほどですから」

当時のパリダカはレースではなくレイド、スピードよりも「冒険」の要素が強かったため、タイヤのパンクや車両のトラブルは命の危険にも直結する。だからこそホイールの強度は重要不可欠なのだ。

そこでチームでは4×4エンジニアリングにパリダカで戦えるホイールの相談に出かけた。すると当時の社長であった松本さんは「うちのホイールは大丈夫!」と太鼓判を押し、当時ブラッドレーブランドとして登場したばかりだった「ブラッドレー02」を採用して次戦のパリダカを戦うことになる。

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4×4エンジニアリングの自信作であったブラッドレー02は一部の変形などはあったものの無事に完走を果たす。しかし完走後のホイールを見た同社のスタッフは、手塩に掛けたブラッドレー02のリムが凹んでいるのを見て悔しがったという。ブラッドレー02をベースにしたスペシャルリム仕様をもってしてでもリムの変形が有り、自信を持って送り出したホイールがここまで凹むとは思ってもみないことだったのだ。そんな経緯からパリダカの環境でも戦えるホイールを新たに作ることを強く決意することになる。

誰もが納得の耐久性と使い勝手の良さ、パリダカを安心して走れるホイールが完成する

パリダカ参戦で得たノウハウを自社に持ち帰った4×4エンジニアリングのスタッフは、どこに力が加わり、どこなら軽量化できるのか、肉厚をどのようにバランスさせていくのかなど、パリダカをターゲットにしたホイール作りをスタートさせる。実際にパリダカを走る久保田さん、石原さんのアドバイスを受け、徐々に完成形に近づけていった開発陣。こうしてでき上がったのがブラッドレーVだったのだ。早くも1988年にはパリダカ車両に装備され、その実力を試すことになる。

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実際に走行すると耐久性の高さ、タイヤとのマッチングの良さなど、ドライバーのフィーリングは上々だった。これまでのように砂漠の走行でホイールが損傷してしまうことも無くなる。またタイヤを低圧で使う場合にビード落ちの危険を回避するためにチューブを用いるホイールも多かった中、ブラッドレーVはビードの保持力の確かさからチューブレスタイヤを安心して使えたのもメリットだった。

さらにワークスチームはスペアパーツも豊富で、ホイール交換も定期的に行えるが、プライベーターは持っていけるスペアパーツも少ない。その中でも走り切ることに必須となるホイールの耐久性はワークスチームよりも重要なファクターでブラッドレーVの耐久性は、十分な剛性を持ち合わせていた。

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加えて様々なタイヤとのマッチングもブラッドレーVの魅力となる。細いタイヤを履くために5.5Jサイズを用意したのもそのため。このような強靱なホイールは当時他にはなくチェックポイントまで無事に走りきったホイールを見に、ワークスチームのメカニックもやって来たほどだった。

過酷な環境でタイヤを痛めつけるパリダカの環境、ホイールにも大きなストレスをかけ続ける。そんなパリダカの環境と走り方を知り尽くした久保田さんと石原さん、彼らの経験と4×4エンジニアリングの技術力が融合してでき上がったブラッドレーV。現場の厳しいニーズをくみ取って生まれたモデルだけに、スタイリングだけでは無くリアルに戦えるホイールとなったのだ。

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「ブラッドレーの歴史はパリダカから始まり、パリダカで鍛えられたから今のブランドになっているんだと僕は思うよ」と石原さんの言葉通り、長くブラッドレーブランドのエースとして君臨するモデルなのは今回紹介した開発の経緯を知れば納得だろう。数あるオフロード系スポーツホイールの中でもブラッドレーVが特別な存在なのはそんなバックグラウンドがあるからだったのだ。

4x4エンジニアリング『ブラッドレー40周年』特別ページはこちら

《土田康弘》

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