メルセデスベンツは2021年、モーター開発スタートアップの英国YASAモーター社を買収して完全子会社化した。先日カリフォルニアで発表したコンセプトカーの『ビジョン・ワンイレブン』も、このYASAモーターを搭載している。
メルセデスはなぜYASAに着目したのか? その理由と今後の可能性を、現地取材で探っていこう。
◆軸方向磁束という古くて新しい技術
YASAモーター社の創業者で、メルセデスの子会社になった今もチーフテクニカルオフィサーとして研究開発を主導するティム・ウールマー。彼がYASAを設立する原点は2005年にあった。地球温暖化対策を定めた1997年の京都議定書が、国際条約として発効した年である。
「しかし2005年当時、電気自動車を買うのはほぼ不可能だった。なぜ電気自動車がないのか? 当時の自動車メーカーの多くはまずハイブリッドを念頭に、いずれは電気自動車に使うことも視野に入れつつ、電動パワートレインの研究を始めていた」とウールマー。05年にオックスフォード大学の博士課程に進学した彼は、新たな発想でモーターの研究を始める。

ハイブリッドでもBEVでも、現在の主流は永久磁石同期モーターだ。コイルを巻いたステーターの内側で永久磁石のローターが回転する。コイルに発生する磁束はローターの回転軸に対して放射方向になるので、英語では「Radial Flux Motor」。いろいろ調べても、これを日本語訳する言葉が見つからないのだが…。
それに対してウールマーがオックスフォードで取り込んだのが「Axial Flux Motor」だ。こちらは「軸方向磁束モーター」と訳される。永久磁石同期モーターとは磁束の向きが異なり、それゆえステーターとローターの役割が逆転。ステーターに永久磁石を用い、ローターにコイルを巻く。

「実際のところ、Axial Flux Motorは非常に古い技術だ。200年以上も前にマイケル・ファラデーによって発明された。しかし課題があったため、自動車業界ではRadial Flux Motorが寡占するようになった」とウールマー。「しかしAxial Flux Motorには原理的にさまざまなメリットがある」
ウールマーによれば、Axial Flux Motorはトルク密度もパワー密度もRadial Flux Motorより高い。同じ体積であれば、より大きなトルクと高いパワーを得られ、同等のトルク/パワーであれば体積と重量を減らすことができる。これが原理的なメリットだ。
実用化を阻んできたのは、冷却と生産方法という2つの課題。ウールマーはオックスフォードの博士課程でそこに焦点を当てて研究を進めた。その成果はすでに自動車業界で実績を残している。
◆フェラーリにモーターを供給
研究に目処をつけたウールマーは2009年、オックスフォード大学からスピンアウトするかたちでYASAモーター社を設立した。
従来の永久磁石式同期モーターではステーターのヨークという部分にコイルを巻くが、YASAモーターはローターを分割した各セグメントに巻き線を配置するので、ヨークが存在しない。「Yokeless And Segmented Armature」の頭文字を取ったのがYASAのネーミングだ(Armature=回転子)。
しかし「大学が試作した未成熟な技術に市場はなかった」ので、ウールマーは「レースイベントで技術を鍛えることにした」。パイクスピークのヒルクライムに挑むラトビアのDrive eO社に2013年からモーターを供給し、2015年に『eO PP3』で総合優勝を果たす。BEVがICEより優れたパフォーマンスを発揮できることを実証したのである。
こうして実績を積んだ結果、YASAモーター社はフェラーリへの供給契約を実現させた。『SF90ストラダーレ』や『296GTB』といったPHEVのフェラーリがYASAモーターを搭載している。今やメルセデスの完全子会社のYASAだが、「メルセデスと競合しないメーカーには協力できる。BMWはダメだけど、フェラーリはOKだ」とウールマーは微笑む。
ちなみにフェラーリ向けのモーターは、YASAモーター社がオックスフォードに持つ小さな工場で生産。一方、メルセデスはベルリンの工場のリニューアルを進めており、そこでYASAモーターを生産する計画だ。
◆2つのモーターでトルクベクタリング

取材会場には『EQS』/『EQE』のリヤモーターと、それと同等のパワー/トルクを持つYASAのAxial Flux Motorが展示されていた。Radial Flux Motor=永久磁石式同期モーターのEQS/EQE用に比べて、YASAモーターは圧倒的にコンパクトだ。
「回転軸方向の長さは3分の1で、重量も3分の1。体積は70%減だ」とウールマー。そしてこう続けた。「高性能なBEVでリヤにひとつのモーターを置く場合、出力を上げるために径を大きくするのはパッケージの観点から困難だ。しかしYASAの技術を使えば、2つのモーターを横に並べることができる」
「モーターの長さに注目してほしい」と語るのは、メルセデス側でYASAモーターを製品化する責任者のコンスタンチン・ナイス。