カーデザイナー、マルチェロ・ガンディーニに名誉学位…ランボルギーニ、ランチア、ルノーなど多数

1968年ランボルギーニ・エスパーダと、マルチェッロ・ガンディーニ。当時29歳
1968年ランボルギーニ・エスパーダと、マルチェッロ・ガンディーニ。当時29歳全 36 枚

ランボルギーニ『クンタッチ(カウンタック)』など、数々のカーデザインの傑作を手がけた奇才、マルチェロ・ガンディーニが3月13日に亡くなった。2月9日に公開した<カーデザイナー、マルチェロ・ガンディーニに名誉学位…ランボルギーニ、ランチア、ルノーなど多数>を再掲して、故人を偲ぶよすがとしたい。

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イタリアのトリノ工科大学は2024年1月12日、自動車デザイナーのマルチェロ・ガンディーニに機械工学の名誉学位を授与した。機械、技術、スタイルを融合した画期的なエンジニアリング・ソリューションを自動車およびそれ以外の領域に応用した業績を評価したもの。

式典にあたりガンディーニは自身の青年時代を振り返り、「16歳のとき、ラテン語の本を買うべき小遣いで、代わりにダンテ・ジャコーザ著の内燃機関に関する本を買ったのが始まりだった。エンジニアリングをデザインや自動車に応用することは最初の情熱であり、かつ私の職業人生全体に通じる運命の赤い糸だった」と明らかにした。

当日大学構内には、イタリア古典4輪2輪クラブなどの協力により、本人がカロッツェリア・ベルトーネ勤務時代にデザインした車両15台が展示された。

1976年、ヌッチオ・ベルトーネ(向かってひだり)と当時38歳のガンディーニ1976年、ヌッチオ・ベルトーネ(向かってひだり)と当時38歳のガンディーニ

ガンディーニは1938年8月26日に旧イタリア王国のトリノで生まれた。父マルコはオーケストラの指揮者だった。第二次大戦中は、両親の別荘があったフランス国境に近いランツォ渓谷に疎開していた。普通高校を卒業後、厳格な父親に逆らって大学進学を拒否。代わりにデザイナーとして、幼稚園の備品からトリノ随一のナイトクラブ「クレイジークラブ」の内装まで、さまざまなデザインを手掛けた。

最初の自動車の仕事はミラノのカロッツェリア「マラッツィ」においてだったが、1965年9月、27歳のとき「カロッツェリア・ベルトーネ」の2代目社主ヌッチオ・ベルトーネに見出された。入社直後からスタイリング・ダイレクターとして従事。最初の仕事は、前任者ジョルジェット・ジウジアーロから引き継いだランボルギーニ『ミウラ』計画であった。

また、同『カウンタック』では、従来のドライバー着座位置を前進させ、そこにエンジンを配置するという発想で、業界に衝撃をもたらした。ベルトーネ時代の14年間に、量産車とショーカーを合わせて100以上のプロジェクトに参画した。本人自身が回想するように、石油危機がなかったら、彼が手がけたようなスーパースポーツカーは、さらなる発展をみたと思われる。

1971年ランボルギーニ・カウンタックLP500プロトタイプ1971年ランボルギーニ・カウンタックLP500プロトタイプ

1979年末に独立。自身のストゥディオ「クラマ」を開設する。Clamaとは、妻クラウディアと自身のイニシャルを基にした造語であった。1980年代はルノーとの契約に専念し量産・試作双方に貢献。樹脂素材の研究、部品点数の削減、さらに工場内の技術革新などの研究に携わった。1984年ルノー『5』では、ルノー社内案、ベルトーネ案とともにコンペに掛けられ、ルノー経営陣だけでなくカスタマーを交えたリサーチでも、ガンディーニ案が選ばれた。

後年ルノーとの独占契約が終了すると、ランボルギーニ、マセラティ、トヨタ、そして三菱などを相手にコンサルティングを展開した。

また、ベルトーネ出身のデザイナー、ピエールアンジェロ・マフィオードと「Gストゥディオ」を設立。日産を含むさまざまなメーカーのプロトタイプやコンセプトカー開発サービスを手掛けた。

1984年ルノー5。2019年、トリノ自動車博物館企画展で1984年ルノー5。2019年、トリノ自動車博物館企画展で

これまでの業績を残しながら、本国イタリアでガンディーニが評価される機会が少なかった理由は、3つあると筆者は考える。

第一は前述したガンディーニとベルトーネ社との関係は決して円満退社だったわけではなかったことである。そうした関係はヌッチオが死去し、未亡人リッリが会社を継承してからも続いた。第二にそのアグレッシヴな作風と違い、本人の娘も語るとおり、ガンディーニが非常に控えめな性格であることだ。また、第三に独立後の彼の主な業務が、高度な守秘義務を要する他社のコンサルティングが大半であったことがある。ガンディーニは、2024年で86歳を迎える。そうした意味で、今回のトリノ工科大学における名誉学位授与は、いささか遅すぎたともいえる。

いっぽうで、ガンディーニは別の意味で大きな刺激を業界に与えたことも事実だ。好例は、ランチアとベルトーネでデザイン・ダイレクターを務めたマイケル・ロビンソンである。彼はアメリカの青年時代、ストラトス・ゼロの写真を見て衝撃を受けたことがきっかけで、ときの自動車大国アメリカを捨ててトリノに渡った。このようにガンディーニは、多くの人々にカーデザイナーを目指すきっかけをもたらしたのである。

2019年、トリノ自動車博物館企画展の開会式におけるガンディーニ(向かって右から2番目)2019年、トリノ自動車博物館企画展の開会式におけるガンディーニ(向かって右から2番目)

《大矢アキオ Akio Lorenzo OYA》

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