EU委員会は「FIAはひとつの団体にF1に関する巨大な権利を無競争に提供した。またFIAは公共団体にも関わらず、自ら開催する商業権利ビジネスに参加している。これは独占禁止法に違反する」という見解を発表した。
この意外な横やりに困惑したのがFIAである。かつてバレストルとF1の覇権争いを繰りひろげたバーニーは、FIA会長の座に自分の息のかかった人材でもあるマックス・モズレーを送り込んだ。こうしてバレストルをFIAから追いだし、名目上、2つの団体が統括するF1だったが、実質は全ての権利がバーニー・エクレストンが掌握する結果となっていた。
しかし、もしFIAがEU委員会の指摘を受け入れると、FIAは150カ国以上のドライバー協会(日本はJAF)による団体であり、すべての決定は多数決による民主主義団体である、という基本概念が根底から崩れることになる。これはFIAとしては絶対に受け入れられない条件だった。
このため、2000年のモナコGPでマックス・モズレーは「EU委員会の指摘は、まったく的外れなもので、FIAとFOAは完全な別団体である。もしEU委員会がFIAという民主主義的団体に介入するようなことがあれば、FIAはヨーロッパ圏からのグランプリ開催撤退(実際にはヨーロッパGPとして1GPを残すと発表)も考えなくてはならない。我々は世界選手権を開いているのであって、F1はヨーロッパ選手権でない」と真っ向からEU委員会に対立してみせた。
ヨーロッパ圏からのF1開催消滅。これにはさすがのEU委員会もたじろいだ。そしてEU委員会が納得できる案としてバーニーが考え出したのが、SLEC(元FOA)の株式上場なのだ。
株式上場すれば、毎年収支内容を発表しなくてはいけない。これでF1ビジネスの透明性が確立する。そしてFIAとSLECの間に100年間のF1権利契約を結ぶことで、SLECはF1権利を独占することができる。またFIAがSLECの株式を保有しないことで、FIAとSLECは完全な別団体になる。これこそ、バーニーが生み出したウルトラCだった。しかも、株式上場の副産物として、バーニーの懐には約1500億円もの売却金が入るという算段も成り立った。