日本自動車工業会の小枝至会長(日産自動車取締役共同会長)は7月21日の会見で、国産乗用車(トラックや軽などをのぞく)の最高出力を280馬力に制限していた自主規制を撤廃したと正式に表明した。
90年の規制開始以来、実に14年ぶりの出来事だ。自動車メディアは一様に歓迎記事を載せ、「280馬力超の第1号車はホンダ・レジェンド」などと報じている。そもそも規制はどうして誕生し、そして今になってなぜ消えていくのか……自動車業界にとって忌まわしい“過去”も含め、規制撤廃までの道のりを明らかにする。
■始まりは“自業自得”の自主規制
80年代、メーカー各社はパワー競争に明け暮れていた。日産自動車がターボ搭載車を増やすと、トヨタはツインカムを大々的にPRすると言った具合だ。当時はまだ、カタログスペック上の最高出力が格好の宣伝文句になっていた時代。大衆セダンや軽自動車まで巻き込んだ「ツインカムターボ車」が走り回っていた。
もちろん、メーカーに言わせれば「ユーザーがハイパワー車を求めたから」となるだろうが、パワー競争はとどまるところを知らず、ついに業を煮やした運輸省(当時)が自工会に対し、過度なパワー競争を慎むよう通達を出したほどだ。
そんななか、元号が昭和から平成へと変わる頃に、交通事故死者が急増し、「第2次交通戦争」と呼ばれる深刻な社会現象となる。政府は交通事故非常事態宣言を発令、自工会を含む関係者に対策を迫った。運輸省はさっそく、自工会に馬力規制を迫る。さすがにメーカー各社も、多発する交通事故と“お上”の意向には逆らえず、自主規制を受け入れた。
■なぜ280馬力なの?
規制導入で合意したメーカー各社だが、ハタと困ったのが「規制値をどうするか」という問題。現実問題として、すでに販売しているクルマの馬力を下回る数値にすれば、そのメーカーは仕様変更を迫られる。結局、当時の最高出力車だった日産『フェアレディZ』(Z32型)の上限値を採用することで落ち着いた。
これが280馬力の根拠だ。運輸省にしても、すでにZの型式認定を出している以上、制限値を280馬力以下にすることは理屈づけが難しい。
こうして90年、自主規制がスタートした。同時期に軽自動車(64馬力)、オートバイ(上限100馬力、250ccクラスは40馬力、400ccクラスは53馬力)もスタートしている(オートバイの自主規制値はその後、若干、変動している)。