【池原照雄の単眼複眼】宗一郎氏を知らない世代が実現する空の夢

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【池原照雄の単眼複眼】宗一郎氏を知らない世代が実現する空の夢
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同じ航空学科を卒業した2人

ホンダが航空機事業への本格参入を決めた。今月内に米国ノースカロライナ州に「ホンダエアクラフトカンパニー」を設立、10月から自主開発した小型ビジネス機『ホンダジェット』の受注を開始する。

ホンダエアクラフトの社長に就任するのは、これまで開発責任者を務めた藤野道格氏(45)。1984年に入社した時、すでに創業者の本田宗一郎氏は第一線を離れた最高顧問であり、両者に接点はなかった。年代的には孫の世代が、創業者の夢を実現することになった。

藤野氏は東大工学部航空学科卒。同じ学科の先輩には、前社長の吉野浩行取締役相談役がいる。ただし、吉野相談役が「飛行機がつくれる」と思ってホンダに入社したのに、藤野氏は「クルマで生きていくと決心して」ホンダを選んだ。

◆航空機でなくCVCCエンジンに

1962年(昭和37年)に宗一郎氏は「飛行機への進出」を宣言、新聞にも報道された。この記事を見て翌63年に入社したのが、吉野相談役だった。だが、ホンダは『N360』で4輪車に進出したばかり。排ガス対策が大きな技術課題だった時期でもあり、吉野相談役はCVCCエンジンの開発に巻き込まれて行った。

一方の藤野氏は航空工学を学んだものの、日本の航空機産業に魅力が感じられず、クルマの技術屋になろうとホンダに入社した。しかし、2年後に転機が来る。

1986年に本田技術研究所が基礎研究分野(現・基礎技術研究センター)を独立させ、将来技術のテーマとして2足歩行ロボット(ASIMO)などとともにジェット機を掲げたのだ。

◆「あきらめないぞ」とリーダーに任命

藤野氏は即座にメンバーに起用され、以来一貫してホンダジェットの開発に取り組んできた。もっとも、開発は順調ではなく、着手から10年が経過した当時、経営の上層部には「あきらめようかなという雰囲気もあった」(藤野氏)と振り返る。

夢の実現が風前の灯火となっていた1997年。藤野は本田技術研究所のトップから「あきらめないぞ」と、ホンダジェットのプロジェクトリーダーに起用される。任命したのが研究所の社長になっていた吉野相談役だった。

宗一郎氏とは接点がありようのなかった藤野氏だが、「直接薫陶を受けた経営トップからは宗一郎さんの情熱や魂を受け継ぐことができた」と言う。ホンダジェットの量産初号機は順調に行けば、宗一郎氏の宣言からほぼ半世紀が経過する2010年に米国の空に飛び立つ。

《池原照雄》

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