東京モーターショーの会場内で開かれた一般ユーザーとの公開ミーティングで、日本自動車工業会の張富士夫会長(トヨタ自動車会長)は「入社(昭和35年)当時、初任給はわずか8000円、『クラウン』の価格は100万円もしてマイカーを持つのは高嶺の花」と語った。
それでも「同僚から『パブリカ』を借りて初めてクルマを運転したが、最初のドライブの思い出は、名古屋に一杯のコーヒーを飲みに行ったこと」と打ち明けた。
さらに、張会長は「入社5年目の頃に中古のパブリカを購入したが、釣りが好きで夜釣りに出かけても、座席のシートが倒れないのでクルマの中で仮眠するのに大往生した」と逸話も披露した。
座席シートひとつをとっても隔世の感があるエピソードだ。