フェラーリの歴史から姿を消したミハエル・シューマッハ

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2006年、フェラーリ最終戦
2006年、フェラーリ最終戦 全 7 枚 拡大写真

去る2010年4月1日木曜日、マレーシア・クアラルンプールのフェラーリ・ショールームには300名を超える招待客で溢れていた。その主役はマラネロが生んだ新たな主力車種、フェラーリ『458イタリア』。

まずは大きなスクリーンに過去を物語るモノクロの映像と、現在を表すカラー映像で彩られたフィルムが映し出され、感嘆の沈黙の中、リザーブドライバーのジャンカルロ・フィジケラが458イタリアに乗って会場に登場するという演出だった。

このマレーシアGP前に行われた新車イベントでは、1950年代に活躍した伝説のドライバー、アルベルト・アスカリやファン・マヌエル・ファンジオらを起用し、フェラーリは60年に渡る輝かしいF1での歴史を称えた。

ところが、フェラーリで最も栄光に満ちたエポックを築き上げたミハエル・シューマッハ(1996年から2006年まで在籍し、2000、01、02、03、04年と5つのタイトルを獲得した)は、正当な評価を受けられなかった。

自らの基準に従い自らの歴史を祝うフェラーリ。06年10月22日、サンパウロで幕を閉じたシーズンはあえて思い出さないようにしたプロモーションビデオの演出だった。10年シーズンからメルセデスGPのマシンでF1復帰を果たしたシューマッハは、フェラーリでの伝説的なポジションを失ってしまったことになる。

ミハエル・シューマッハの引退に伴い、すぐさまコンサルタントに任命したのは、他からのオファーに目を向けさせずに、両者の関係を守るためでもあった。シューマッハの高い技術力を見込んだフェラーリ側は、より高い年俸を与えて昇進させ、彼への投資を続けたのだ。

一方、メルセデス側の求めに応じ、2度目のキャリアをスタートさせる決心をしたシューマッハは、最初にフェラーリへの愛を改めて表明した。だがフェラーリ側の対応はいささかエレガンスに欠けるものだった。マラネロに5つのタイトルを持ち帰った英雄は、フェラーリの歴史から抹殺されたのだ。

《編集部》

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