100万台のコミットメントに欠かせない存在
ここ2か月でトヨタ自動車と日産自動車の九州の生産拠点を取材する機会があった。両工場のグループ内での位置付けはやや異なるが、日本のモノづくりパワーを維持するうえで最早、欠かせない重要拠点という意味では共通する。九州での自動車生産の歴史は中部や関東に比べれば浅いものの、すでに両工場はこの地域でも基幹産業としての使命を担う存在になっている。
九州で自動車の組み立てが始まったのは1976年末。日産九州工場(福岡県苅田町、現・日産自動車九州)で、輸出向けを主体とした『ダットサントラック』がラインオフした。同工場は80年からは乗用車の生産にも乗り出し、92年には第2工場が稼働、現在の能力は年43万台(定時稼働時)となっている。
しかし、現状は今夏から新型『ノート』の生産が加わったこともあり、休出と残業のフル稼働状態で、今年度は11年度を約1割上回る57万台の生産を見込む。現在、期間従業員は過去最大規模の800人が従事している。隣接地に立地し、2009年末に稼働した日産車体九州と合わせると、今年度は70万台近くに及び、国内では日産車最大の供給地となる。
日産は、100万台を国内生産の最低確保ラインとして公約しており、志賀俊之COOは九州の生産体制が「100万台のコミットメント維持に欠かせない」と強調する。九州は生産の過半数を担うという位置付けだけでなく、地理的特性を生かした「国内生産のコスト領域でのリーダー」(日産九州の児玉幸信社長)も目指している。
九州や山口県といった地元からの部品調達拡大により物流費を削減、比較的低廉な労務コストとともに原価低減につなげている。中国、タイといった海外からの部品調達も同様の狙いで着々と拡充が進む。日産九州は10年度から今年度までの3か年で、購入部品などを含む総原価を約25%低減する見通しとなっており、「コストのリーダー」として磨きをかける。
◆「品質」でグループの先頭を走る
トヨタの工場は92年末に稼働したトヨタ自動車九州(福岡県宮若市)。『マークII』の生産から着手したものの、バブル崩壊期に重なり、雌伏の時が続いた。当初の能力だった年20万台に達したのは00年になってからであり、97年にレクサス『ES』(日本向けはトヨタ『ウィンダム』)を投入して、ようやく軌道に乗った。
04年に第2工場が完成し、現在の能力(定時稼働時)は日産九州と同じ年43万台。愛知県の田原工場と並ぶレクサスの生産拠点に育った。「この20年で、品質面では一切妥協しない現場力を蓄えてきた」(豊田章男トヨタ社長)と評すように、品質の造り込みではグループの先頭を走る存在となっている。
ここ数年では車体を中心とした自前の開発力を身につける取り組みも進めており、現在約200人がトヨタ本体の開発部門で研修中だ。トヨタ九州の二橋岩雄社長は「2010年代の早い時期に開発面で自立し、将来は当社で生産するモデルのマイナーチェンジなどを受注したい」と、意欲を見せる。
◆素材型から高度加工型に脱皮するサプライヤー
日産とトヨタの九州拠点が共通の課題として推進しているのが、原価低減のカナメとなる地元サプライヤーからの調達拡大だ。福岡県のまとめによると03年以降、11年度までに北部九州を中心とした地元企業の自動車部品への新規参入は84社に達し、この間の新規部品受注は448件にのぼっているという。
日産が進出した当時、九州に立地した系列部品メーカーが「地元企業(2次下請け)に発注しようにも、加工精度が1ケタ違う」と嘆いていたのを思い出す。元々、鉄鋼など素材産業が中心だった北部九州では、自動車部品に求められる品質や量産対応、納期などを満たすサプライヤーは、ごく一握りだった。日産の進出から30年余りを経て、部品産業でも素材型から高度加工型への構造転換が進んだとの実感だ。
福岡県は、ダイハツ九州が立地する大分県を合わせた北部九州で、産業や人材の集積を図る「自動車150万台先進生産拠点構想」を推進している。11年度の生産実績は過去最高の131万台だったが、今年度は地元が待望する初の150万台に到達する勢いとなっている。