光岡自動車の河村賢整副社長は1月10日に都内で開いた主力車種『ビュート』誕生20周年を記念した特別仕様車発表会で、バブル崩壊がきっかけになったというビュート誕生の秘話を明らかにした。
河村副社長は「ビュートは今月で20周年になるが、光岡が本格的な改造4輪乗用車をスタートしたのは1987年で、今年で26年経つ。当時は、500万~785万円の高額車をバブルに合わせて限定200~500台で企画した。受注は順調だったが、バブルが弾けた92年くらいからキャンセルが出始め、大きな車はやはり時代にそぐわないということになった」と、ビュート誕生以前を振り返った。
このため「価格的にも200万円台で楽しめる光岡らしい車を企画しようということで、日産自動車の『マーチ』をベースにしたビュートを造ることになった」という。「その時は工場スタッフも15名ほどの少人数だったので、毎月10台ほど売れてくれれば工場は回るという感覚でスタートしたが、ふたを開けてみると1年目で約600台の注文を頂き、私たちのような少量生産では非常に驚く生産台数になった」と明かす。
さらに「今年で20年経つが、累計販売は1万台を超え、年平均500台という実績になっている。去年5月にリリースしたK13型マーチがベースの新型ビュートも順調に注文を頂いている」と述べた。