人間のためのサスティナビリティ
今日、クルマづくりにおいて重要なテーマのひとつとなっているサスティナビリティ(持続可能性)。環境問題や資源・エネルギー問題などさまざまな問題が発生するなか、クルマを将来にわたって長く使い続けられるようにするには、それらの問題を乗り越えるための技術開発やアクションが必要であることは言うまでもない。
サスティナビリティを語るうえでしばしば取り上げられるのは、課題を克服するためのイノベーションだ。日産自動車や米テスラのBEV(バッテリー式電気自動車)、トヨタを皮切りに続々登場しようとしているFCV(燃料電池電気自動車)の市販モデルなど、電動化技術が投入されたクルマが脚光を浴びているが、これらは石油エネルギーへの依存度を下げ、サスティナビリティを高めるためのソリューションだ。すでに普及が進んでいるハイブリッドやクリーンディーゼルなど、燃料消費を削減する技術も目的は同じと言える。ぎにつにに強い日本では、サスティナビリティといえば、イコール、クルマのハードウェアという捉えられ方をすることが多い。
ところが、グローバルに目を移すと、サスティナビリティをハードウェアによるソリューションにとどまらず、低CO2、低資源消費が企業業績にどのようにプラスに作用するか、また各国政府のエネルギー政策や労働者の雇用にどのように好影響を及ぼすか、さらには市場をどのように成長させるかといった範囲まで視野を拡大し、経営学的な視点から定義しようというダイナミックな動きが出てきている。
高級車やスーパースポーツなど、付加価値の高いクルマの内装材で知られるイタリアのテキスタイル企業、アルカンターラは10月、ヴェニス国際大学と共同でクルマのサスティナビリティに関する国際シンポジウムを開催した。そのセッションで討論された内容は、そのトレンドを強く感じさせるものだった。
◆低炭素と利益、雇用創出はリンクするか
「環境や資源・エネルギー問題を解決することは重要なことだが、それはサスティナビリティの最終的な目的ではない。一時の利益に目を奪われるのではなく、低炭素化、低資源化によって企業が利益を増やしながら、リスクに対する社会的コストを下げ、さらに雇用が増えて継続的に需要が生まれるという循環を作り上げてこそ、サスティナビリティと言える状況になる。そういう循環を作り出すため、今こそ皆が知恵を出し合って取り組むべきだ。これからのサスティナビリティは、企業、社会、そして雇用=消費者の三者がメリットを享受できるものにしていくべき」
主催者であるアルカンターラのアンドレア・ポラーニョ会長は、サスティナビリティについてこう語る。アルカンターラはイタリアの大手企業としては初めて、製品のカーボンニュートラル(CO2排出量実質ゼロ)を達成するなど、サスティナビリティに関して意欲的なことで知られる。また、研究開発や事業計画についても「たとえ今日大きな利益を生むことであっても、それが次世代の人々が前向きに働くことを妨害する可能性があるなら、それはやるべきではないと我々は考える」(アルカンターラ関係者)といった、独特のフィロソフィを持つ。
シンポジウムのパネルには、高級車メーカーのアウディ、化学メーカーのBASFをはじめとする有力な自動車関連企業の上級幹部、世界銀行関係者、フランスのエコールポリテクニークなど学術機関の関係者、有力NGOなどそうそうたる顔ぶれが上がった。
アウディのアヴェ・コーザー博士は、「われわれは2011年から3年間で、クルマの製造にともなう台あたりのCO2排出量を一気に3分の2に減らした。その結果、利益が増えただけでなく、雇用も増やすことができた。低炭素はいまやエコロジーにとどまらず、コストを含む競争力の源となっている」とレポート。また、世界でも人件費がたい旧西ドイツ地域にあるインゴルシュタットの本社や工場でも雇用が増大したことをとくに強調した。
企業のCO2排出量と税引き前純利益、リスク資本を対数関数で表し、低炭素が生み出す価値の具体的な数字を実験的に試算してみせたのは、仏ケッジビジネススクールのフランク・フィッゲ教授。BMW、ダイムラー、フォード、ヒュンダイなど、生産段階での低炭素化でアドバンテージを持つメーカーを業界アベレージと比較し、利益のなかで低炭素化がもたらした付加価値の割合を定義づけるというものだった。
現時点では企業の過去の経営スコアから帰納的に法則を見つけ出そうという思考実験の段階にとどまっており、また算出に使われるファクターもCO2排出量のみだ。が、欧州の経営学者がこぞってサスティナビリティの具体的な価値づけに乗り出しているというトレンドがかなりのダイナミズムを持っていることは間違いなく、早晩、さらに高度な理論が考案される可能性は決して低くない。
◆現時点では思考実験の域を出ないが
なぜ、欧州でこのようなサスティナビリティの価値測定がさかんに行われているのか。「政府、NGO、投資家などのステークホルダーからのニーズが近年、急速に高まったんです。サスティナビリティを数値化してわかりやすいように示せ、と。将来、統一基準で算出されたサスティナビリティのバリューが投資家向け情報として開示される時代が来るかもしれない」…日系自動車メーカーのある海外部門関係者は、実情をこのように語る。
今はまだ試算段階にとどまっているサスティナビリティの定量評価だが、欧州でルール作りが進むのを黙って見ているのはリスクが大きい。なぜならば、前述の2人をはじめ、パネラーたちが提示したサスティナビリティのモデルは、風力やバイオマスなど、再生可能エネルギーのなかでも採算性の高さとカーボンニュートラルを両立しやすいエネルギーをせするこすることが前提とされるなど、現状では欧州に有利なもの。
日本企業としては、ガイドラインの策定を無視して粛々と経営をするという手もあるが、90年代に格付け機関が急速に台頭したさい、「勝手格付け」と評された恣意的な格付けによって多くの企業が混乱したこと、また気候変動枠組み条約で欧米の考案したルールにのっとってCO2削減幅6%をのみ、後で散々な目に遭ったことなどの前例を考えると、無視はあまり良い選択とは言えない。むしろ、早いうちにテーブルに着き、日本の意見をしっかり述べておいたほうが得策であろう。
たとえば低炭素のカウント方法。日本では水力以外の再生可能エネルギーといえば、まず太陽光発電が連想される。欧州では太陽光が主力エネルギーのポジションを得つつあるとマスメディアがミスリードしてきたためだが、実際には風力とバイオマスの存在感が圧倒的に高い。ソフトウェア産業や農業、サービス業を主体とし、人口密度も低いオーストリアなどは、エネルギーの3割以上を風力とバイオマスでまなかっているほど。平野が多く、風速も安定的な欧州は、再生可能エネルギー利用の面では最初から有利なのだ。
◆デファクトスタンダード獲得競争で優位に立つには
その欧州主導でサスティナビリティの枠組み策定が進めば、気候の変化が激しく、再生可能エネルギーを使いづらい日本が不利になる可能性がある。今のうちからフランスなどを引き込み、第4世代原子炉や副生水素など再生可能エネルギー以外の低炭素エネルギーを利用した場合のプロフィットをきちんとカウントするといった主張をきっちり行っておいたほうが後顧の憂いがないというものであろう。
アルカンターラとシンポジウムを共催したヴェニス国際大学のウンベルト・ヴァッターニ学長は、「当大学は世界の多くの国からの留学生を受け入れている。多様な文化、立場のの人々が対話を重ねるところから、叡智が生まれるのです。サスティナビリティを具体的に測定するという困難な試みもまた、多くの人たちがアイデアを出し合うことによって実現が可能になるでしょう」と語っていた。実際、今回提示されたサスティナビリティに関する社会像や、途上国を含めたサプライヤーの環境技術や労働者待遇までを視野に入れた自動車産業のグローバル展開などは、極端な理念先行型で、そのまま実現する可能性はういと言わざるを得ないものでもあった。それを具体化させるためには、日本の政財界が得てきたノウハウも必要とされているのである。
このシンポジウムで語られたようなサスティナビリティの枠組みづくりは、平たく言えば企業や社会の運営に関する次世代のデファクトスタンダードづくりである。日本は伝統的にデファクトスタンダードの獲得が下手で、技術開発力で優位に立ちながら、いろいろな分野で標準化の主導権を握れず、煮え湯を飲まされてきた。それだけに「次こそは日本がデファクトスタンダードを」という思いは産業界にも経済産業省をはじめとする行政にも強く、このところ“デファクトスタンダードおたく”のような様相を呈している。他国に先んじて電気自動車や燃料電池車、急速充電器の市販品などを作ることに執心なのもその一例だろう。
が、社会のしくみは技術や商品の開発だけでは変わらない。それどころか、技術的に良いものであっても、社会の目指す方向と合わなければ受け入れられないことすらある。デファクトスタンダードにこだわるならば、まずは社会全体をどのように変え、人間がどう生きていくべきかというシステムに目を向ける必要がある。技術開発という得意分野に引きこもるのではなく、他国とのディベートを通じて日本の意見を次の社会システムにきっちり反映させるという“外交力”が求められているのではないか…そんな感想をしじゅう抱かされたアルカンターラのサスティナビリティシンポジウムであった。