【山崎元裕の “B”の哲学】ドライバーズカーであり続ける、という哲学…ベントレーの歴史

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1924年のルマンを制した3リットルベントレー
1924年のルマンを制した3リットルベントレー 全 39 枚 拡大写真

「3リットル」とモータースポーツが創り上げた“B”の礎

ロンドン北部に位置する、コデュイットストリート。ここにベントレーモーターズ社が誕生したのは、1919年8月のことだった。創設者であるウォルター・オーウェン・ベントレーは、グレートノーザン鉄道でキャリアをスタートさせたエンジニア。ベントレーモーターズ社の創設当時は、まだ31歳という若さだったが、技術への拘り、そして性能と品質に対してのストイックなまでの姿勢は、ベントレー車の評価に非常に大きな影響を与えた。

ベントレーから最初に発表されたモデルは、3リットルの直列4気筒エンジンを搭載するサルーンだった。ペントルーフ型の燃焼室形状、クロスフローヘッド、そしてオーバーヘッドカムシャフト。この3リットルエンジンは、当時としてはきわめて斬新な設計で、正確には65.9psの最高出力が発揮されたとされる。さらにW.O.ベントレーは、この『3リットル』に5年間の保証制度を適用。自社製品に対しての絶対的な自信を、保証によって示してみせたのだ。

現在存続している、多くのスポーツ&プレミアムカー・ブランドがそうであるように、ベントレーのヒストリーもまた、モータースポーツによって華やかに彩られることとなった。1922年には、早くもブルックランズで初勝利を記録すると、それから1930年代にかけて、ベントレーは「ベントレー・ボーイズ」と呼ばれた、優秀なワークス・ドライバーの活躍によって、多くの勝利を重ねることになる。1924年、1927年、1928年、1929年、そして1930年と、ル・マン24時間レースを制覇したことは、その象徴的な例である。

市場でのベントレーの評価は、モータースポーツでの戦績によって、絶対的なものとなった。それを最も脅威と感じていたのは、同じイギリスの高級車メーカー、ロールス・ロイスで、世界大恐慌の影響によってベントレー社の経営状況が極端に悪化すると、ロールス・ロイスは1931年、ベントレー社を買収。この時に始まったベントレーとロールス・ロイスの共存共栄の関係は、結果的には21世紀まで続くことになる。ちなみにW.O.ベントレーは、1935年にはラゴンダ社へと移籍。同年のル・マン24時間を制覇する『V12ラゴンダ』を設計するなど、変わらずエンジニアとしての手腕を発揮。さらにアストンマーティンの設計にも参加し、1971年にこの世を去っている。

ロールス・ロイスによって買収されたベントレーは、第二次世界大戦後の1946年には、現在も本社と生産施設が置かれているクルーへと移転。ロールス・ロイスのコンポーネントを使用した『Mk.VI』を生産することで、戦後の本格的な再スタートを切ることとなった。

◆新世代ベントレーの技術革新

『Rタイプ・コンチネンタル』、そして最後の直列6気筒エンジン搭載車となった『S1』。1950年代のベントレーからは、さまざまな新型車が誕生したが、さらに1959年になると、新開発の6.25リットル版V型8気筒エンジンを搭載する『S2』が発表される。このV型8気筒エンジンの基本設計が、現在の『ミュルザンヌ』に搭載される6.75リットル版V型8気筒エンジンにも継承されていることには驚かされる。逆に考えれば、当時のエンジニアリングチームの中に、それから半世紀以上を経てもなお、それが改良と熟成を重ねてベントレー車に搭載されていることなど想像する者は、誰一人としていなかったに違いない。

ベントレーの技術革新は、1960年代に入ってもその加速度を弱めることはなかった。最初のモノコックボディーを始め、セルフレベリング機構付きの独立式サスペンション、4輪ディスクブレーキ、さらにはブレーキアシスト等々の最新技術を導入した『T1』。そしてその後誕生した『コンチネンタル』など、ベントレーは積極的に魅力的な新型車を市場へと投入するが、1970年代中盤には、今後は石油危機に端を発する、厳しい排出ガス規制がベントレーを苦しめていくことになる。

ベントレーにとって一筋の光明となったのは、1980年に発表された『ミュルザンヌ』だった。1982年にはかつての『ブロア・ベントレー』の再来とも語られた、高性能仕様の『ミュルザンヌ・ターボ』も登場。ここからベントレーは、『ターボR』や『コンチネンタルR』など、超高級車市場の中においても、とりわけスポーツ性の強いモデルを、続々と発表していくことになるのだ。それは、ベントレーはあくまでもドライバーズカーとして存在するべきなのだという、創始者W.O.ベントレーの哲学を忠実に具現化したかのような作だ。

◆不変の哲学

VWグループ下へと収まっても、その哲学は不変だった。2001年にはル・マン24時間レースに復帰。そして2002年の『コンチネンタルGT』を皮切りに、2005年には『コンチネンタル・フライングスパー』を。2008年には伝統のビッグ・ベントレーを、再び『ミュルザンヌ』の名とともに復活させてみせた。

2014年にベントレーは、第3四半期までの世界販売の数字によれば、前年同期比で19%増の成長を遂げているという。その大きな原動力となったのは、コンチネンタルとフライングスパーの両シリーズに新設定されたV8モデル。さらにベントレーは、近い将来SUVモデルの市場投入も計画しているから、その成長はまだまだ続くことは間違いない。『コンチネンタルGT3』によるモータースポーツ活動も、2015年にはさらに本格化するだろう。ベントレーは、これからも超高級車市場で独自の哲学を主張し続けていくのだ。

山崎元裕|モーター・ジャーナリスト(日本自動車ジャーナリスト協会会員)
1963年新潟市生まれ、青山学院大学理工学部機械工学科卒業。少年期にスーパーカーブームの洗礼を受け、大学で機械工学を学ぶことを決意。自動車雑誌編集部を経て、モーター・ジャーナリストとして独立する。現在でも、最も熱くなれるのは、スーパーカー&プレミアムカーの世界。それらのニューモデルが誕生するモーターショーという場所は、必ず自分自身で取材したいという徹底したポリシーを持つ。

《山崎 元裕》

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