9月19日から三重県津市の三重県総合博物館で開催されるF1と鈴鹿サーキットをテーマにした企画展「SUZUKA 夢と挑戦のステージ~ホンダのF1と鈴鹿サーキット~」。4日には、都内でプレス発表会が行われ、ゲストで登場したF1解説者の森脇基恭氏が鈴鹿F1の思い出を語った。
レーシングカーデザイナー、レースエンジニアとして活躍、F1日本GPでは解説者として1987年の鈴鹿での日本GPから毎年のように現地で取材してきた森脇氏。F1ドライバーの多くが「世界で最もチャレンジングなコース」と賞賛する鈴鹿サーキット。その意見は、森脇氏も同じだという。
「鈴鹿は攻めれば攻めるほど新たな問題が出てきて、ドライバーにとってもエンジニアにとってもハードルが高いサーキットです。高速から低速まで様々なコーナーが混在していて走行ラインを少しでも外すと、遅れを取り返すのが困難。ドライバーが言うチャレンジングなコースです。スパ・フランコルシャン(ベルギーGP)と鈴鹿ぐらいですね」。
過去26回、同地で開催されてきたF1日本GP。その中にはネルソン・ピケ、アイルトン・セナ、アラン・プロスト、デイモン・ヒル、ミカ・ハッキネン、ミハエル・シューマッハ、セバスチャン・ベッテルなど合計で11回もチャンピオン決定の舞台となってきた鈴鹿。その中で森脇氏が最も思い出に残っている“ベストレース“は意外にも2005年のキミ・ライコネンによる大逆転劇だと語ってくれた。
「よくセナとプロストの対決を思い出す方も多いと思いますが、私は2005年にキミ・ライコネンが17番手からスタートして優勝したレースが一番印象に残っています。それまで鈴鹿はF1では抜くのが難しいと言われていたのに、16台も追い抜いて、そして最終ラップでトップ浮上という劇的なドラマを見せてくれました。機会があれば、皆さんにも是非その映像を観ていただきたいくらいです」。
ちょうど10年前のF1日本GP。当時マクラーレン・メルセデスに在籍していたライコネンだったが、金曜フリー走行でいきなりエンジン交換を余儀なくされ10グリッド降格ペナルティ。さらに土曜の予選ではいざタイムアタックという時に雨が強くなりタイム更新ができず、17番手に沈んでしまった。このシーズンを象徴するかのような不運続きの週末だったが、ライコネン自身はトップ浮上を全く諦めておらずオープニングラップから猛追を開始。ついに残り3周で1位を走っていたジャンカルロ・フィジケラ(当時ルノー)を捉え、度重なる攻防戦の末、最終ラップの1コーナーでアウトからオーバーテイク。サーキットに詰めかけた15万6000人のファンが大興奮した瞬間だった。
いよいよ今年も3週間後に迫ったF1日本GP。最後に今年から世界最高峰の舞台に再挑戦しているホンダについては「若い人がエンジニアとして現場で頑張っていますが“絶対に自分たちが世界一のものを作るんだ”という強い気持ちを持ち続けるのが一番重要。諦めたら終わりなので、挑戦しつづけてほしい。またホンダは現在のF1では“1年生”なのだから何にでも挑戦してほしい。過去の栄光は全部ゼロからのスタートだと思ってやれば、きっと結果はついてくる」と、厳しくも熱いエールを送っていた。
今回のプレス発表で紹介された企画展は9月19日~11月15日まで三重県津市にある三重県総合博物館で行われる。また注目の2015F1日本GPは9月25日~9月27日の3日間、鈴鹿サーキットで開催される。