【意外なヒット】マツダ/ユーノス ロードスター 初代…ブランドの失敗と車の成功

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ユーノス・ロードスター
ユーノス・ロードスター 全 4 枚 拡大写真

年末年始の読み物「意外なヒット」シリーズ。名前を聞けば誰もが知っているヒット作ながら、開発意図・商品企画とは異なる成功を納めたモデルを紹介していきます。マツダにおける意図しない大成功モデルとしては、『ロードスター』を挙げます。

ロードスターといえば、1989年にリリースされて以来、現在まで4世代にも渡りモデルが発売され、先ごろ累計販売台数100万台を突破した、言わずと知れたベストセラースポーツカーですが、企画時は今日のような形での成功を夢見たモデルではありませんでした。

初代、いわゆるNA型ユーノス『ロードスター』は、これまでの“オープンカー=高級路線”という既成概念を打ち砕き、誰もが手の届く身近なものとしました。その結果、世界中でライトウェイトオープン2シーターブームが巻き起こり、欧州各メーカーの新型オープンカーリリースラッシュにつながりました。

一連の流れで世に送り出されたモデルたちの過半数が、現在もモデルチェンジを続けて存続していることからも、ユーノス・ロードスターは誰もが認めるエポックメイキングな大成功モデルだったと言えます。

この通り輝かしいヒストリーをもつユーノス・ロードスターですが、実は本来の目的を遂げることができなかった悲運のモデルとも言えるのです。その理由を説明して参ります。
ユーノス・ロードスター
1989年当時、マツダはトヨタや日産といった国内自動車メーカーと同じく、グローバル化の流れの中、世界トップを目指す販売拡大路線を辿っていました。その中で、想定購買層により販売店を変える、「マツダ5チャンネル化」の戦略を採っていました。5つのブランドをマツダ内で持ち、中でも「ユーノス」というブランドは高級路線を意図して創設されました。その高級イメージの尖兵として送り出されたのが、ロードスターなのです。

しかし、その後の展開は皆様御存知の通り、バブル崩壊からの不景気も手伝って、「ユーノス」ブランドは大ゴケ、高級ブランドの構築は失敗しました。拡大路線は経営悪化を招き、フォード傘下へと下り再建への道を目指す事となりました。そしてユーノス・ロードスターは1998年のフルモデルチェンジ時にその呼称を「マツダ・ロードスター」へと変更しました。

今日でこそマツダは経営再建を果たし、再び独立系自動車メーカーとして歩み始め、その象徴としてロードスターは君臨しています。しかしデビュー当時のロードスターは、後に自身で打ち壊す“オープンカー=高級”の図式をユーノスブランドに与える、広告塔としての役割を期待されていたのでした。成功とは時として皮肉なものです。

《山里真元》

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