閉鎖が相次ぐ教習所、運転免許の更新はどうあるべきか【岩貞るみこの人道車医】

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【運転免許と教習所】高齢者が起こす死亡事故に対応するため、警察庁では数年前から免許制度の在り方について検討を進めている。2019年に入って重大事故の報道が相次いだこともあり、世間の注目が集まっているところだ。

2019年内に中間報告がなされ、2020年3月末の年度内に最終報告がされる予定である。

運転免許。

取得するときは、あんなに厳しくてむずかしいのに、その後の更新は視力検査と講習だけでパスできちゃって、ほんとにいいんだろうか……と最近、つくづく感じている。

◆運転免許の更新は、どうあるべきか

以前、このコラムでも書いたけれど、運転免許を取得するためには、身体的な条件のクリアと、教習所などに通うなどして運転技能を持つことが求められる。昨今のあおり運転を見ていると、適正ももっと重視しなくちゃと思うけれどこれはこれで、検査方法がまったく確立されていないのでむずかしそうだ。

免許更新時は、身体的な条件のひとつである視力検査は行われるけれど、運転技能はスルーである。

その視力検査についても、以前、某過疎地域の高齢者と話をしていたら、「よく見えないけれど、勢いつけて、上! 下!と、いっぺんに言うと通してくれるんだよ」と、のけぞるようなことを言われた経験がある。うーん、免許更新の意味が問われるような事態である。

また、信号機が見えない、左右から出てくるクルマが見えないという「視野欠損」は、現在のところ更新時でチェックしていない=これはこれで、検査方法がむずかしくて水平展開しにくいようだ。

運転免許制度のあるべき姿は、年齢に関係なく、免許を取得したときと同程度の運転技能があることだと思う。もちろん、身体的特性も含めて。高齢者だからといった年齢に関係なく、若くてもペーパードライバー歴が長くて道交法をすっかり忘れたり、ぐだぐだな運転しかできないような人も、はじく必要があるのだと思う。

かくいう私も、ナナハンに乗るために必死な思いをして専門の学校に通い、限定解除をしたというのに(私の時代は教習所で限定解除できなかった)、今はもうすっかりペーパーライダーになり下がっていて、目の前にナナハンを出されて「乗ってみろ」と言われても、スタンドをはずしてまたがるときによろめいて倒れる姿が容易に想像できる。情けない。私こそ、限定解除部分だけ返納したいくらいだ。

◆教習所は年間、約10か所ずつ閉鎖している

全員に必ず技能試験をやって、もしも合格基準に達さない場合は「何か月以内に本免許を取得すること」というような条件をつける。その間は、免停にするか仮免許にして、教習所でも隣に誰かに乗ってもらってでもいいから、きちんと練習して再試験を受ける。

そのくらいやらないと、運転のレベル維持はできないし、高齢者だけうんぬんでは健康に気を配り、そんじょそこらの若葉マークより上手に運転する高齢者に失礼だと思う。

実際、元レーシングドライバーでのちに自動車ジャーナリストとなったポール・フレール先生は、80歳を超えてもワインディング道をテールスライドさせながらきゅっきゅと走っていらしたもの。

ところが、私の理想論に対して現実は、大きな問題が立ちはだかっている。人・場所・予算だ。今でさえ、高齢者教習を受け持つ教習所は、少子化などの影響により年間、約10か所ずつ閉鎖している。こんな状態で今後、増える&長生きする高齢者の数をこなしきれないのは一目瞭然だ。高齢者だけですら対応できないのにさらに、「年齢に関係なく試験を」と望む私の案なんてできるわけがないのである。

でも、どこかでなんとかしないと、本当にダメだと思う。運転を継続したいという人には、個人負担額を増やしてでも、「運転していい人/させちゃダメな人」を分けていかないと。そして、公共交通機関が乏しいエリアに人たちに、どう対応していくかという問題も、本気で取り組む必要がある。

自動運転が始まれば、自動運転免許を作ったほうがいいという意見も出始めている。こんなに教習所が頼られているというのに、2019年も、全国で教習所がいくつも閉鎖された。早く手を打たないと、本当に手遅れになると感じている。

岩貞るみこ|モータージャーナリスト/作家
イタリア在住経験があり、グローバルなユーザー視点から行政に対し積極的に発言を行っている。主にコンパクトカーを中心に取材するほか、ノンフィクション作家として子どもたちに命の尊さを伝える活動を行っている。レスポンスでは、アラフィー女性ユーザー視点でのインプレを執筆。コラム『岩貞るみこの人道車医』を連載中。

《岩貞るみこ》