【マツダ MX-30】ベルトーネやロードスターも…MX[フォトヒストリー]

マツダMX-81(1981年)
マツダMX-81(1981年)全 31 枚

マツダが電動SUV『MX-30』を発表した。MX-30の開発責任者を務める竹内都美子主査が「新しい価値の創造を提供するモデルにはMXという名前を付けてきた」というように、マツダにとって「MX」の車名は特別な意味を持つ。

MXのつく車で最も有名で、同時に最も成功したのが『MX-5』だ。日本名『ロードスター』が海外市場でそう呼ばれた。日本導入の市販車で使用例は少ないが、さまざまな車種で、量産車、コンセプトカー、競技用車両を問わず、MXの名前は、その時代のマツダをリードする期待を込めて命名されている。

MXのMは「マツダ」(Mazda)のM、Xは「未知の値」といった意味合いを持つと考えていい。歴代“MXカー”を紹介しよう。

●MX-81アリア(1981年)……最初に「MX」の名前が付いたのは、『ファミリア』のランニングギアを使って制作された、未来的なウェッジシェイプボディをもつハッチバックの『MX-81アリア』コンセプトだ。イタリアのデザインハウス、ベルトーネが開発した。ハイマウント・テールライトやポップアップ・ヘッドライトは量産型各車に生かされたが、リムだけが回転するステアリングホイールなど、過激なインテリアデザインは、提案にとどまった。

マツダMX-02(1983年)マツダMX-02(1983年)●MX-02(1983年)……2番目のMXは5ドアハッチバックの『MX-02』コンセプト。後輪ステアやヘッドアップディスプレイを提案していた。

マツダMX-03(1985年)マツダMX-03(1985年)●MX-03(1985年)……MXはシリーズ化する。ホイールではなく飛行機の操縦桿ふうのステアリング、デジタル・ディスプレイ、4輪操舵、4輪駆動などを装備し、未来へ大きく踏み出したのが『MX-03』だ。Cdは0.25だった。315PSの3ローター・ロータリーエンジンを搭載しており、3ローター・ロータリーエンジンは1990年のユーノス『コスモ』で市販車に採用された。リアエンドのデザイン処理がホンダ『NSX』に似るが、プロトタイプの『NS-X』が登場したのは1989年だ。

マツダMX-6(1991年)マツダMX-6(1991年)●MX-6(1987年)……量産型で「MX」を最初に名乗ったのは、実はアメリカ市場でモデルチェンジした1988年型『626』シリーズの『MX-6』スポーツクーペだ。日本の『カペラC2』にあたる。従来のスポーツカーの「RX」シリーズにたいし、スペシャリティカーに「MX」をあてたような形だ。日本のカペラ・クーペも、次のモデルチェンジ(1991年)からMX-6を名乗ることになる。

マツダMX-04(1987年)マツダMX-04(1987年)●MX-04(1987年)……MXシリーズで続き番号となるのが、東京モーターショー1987で発表された、ロータリーエンジン駆動の『MX-04』だ。フロントエンジン・リアドライブのシャシーに着脱式のボディパネルをもち、クーペとバギーの2車形が提案された。クーペはルーフ、ウィンドシールド、ドアをはずしてロードスターにも変身できた。MX-04の量産化の可能性は小さかったが、じつはMX-5の開発がすでに進行中だった。

マツダMX-5(1989年)マツダMX-5(1989年)●MX-5(1989年)……そして2年後、MX-5が市場に導入される。MX-5は海外市場での車名で、日本では「ユーノス」ブランドから『ロードスター』の名前で発表された。当時の自動車メーカーがどこも安価なスポーツカーから撤退していたところに、古典的な後輪駆動ロードスターを再解釈して復活させたのだった。

マツダMXR-01(1992年)マツダMXR-01(1992年)●MXR-01(1992年)……世界スポーツカー選手権に組み込まれていたルマン24時間レースでマツダは1991年、「787B」で優勝するものの、同年限りロータリーエンジンが使えなくなったことから、1992年シーズン向けに開発されたのが「MXR-01」だ。カテゴリーから撤退したジャガー「XJR-14」をベースにジャッド製V10エンジンを搭載し、5台が作られた。しかし世界スポーツカー選手権が1992年で終了、マツダも国際レベルのモータースポーツ活動から手を引く。

ユーノス・プレッソ(1991年)ユーノス・プレッソ(1991年)●MX-3(1992年)……次のMXは量産車で、海外市場で『MX-3』と呼ばれたスタイリッシュなハッチバッククーペだ。登場時には世界最小の1.8リットルV6エンジンが設定されていた。番号が「3」なのは『323』(日本の『ファミリア』)系だからで、MX-03コンセプトとは関連がない。日本市場ではユーノス『プレッソ』、オートザム『AZ-3』が兄弟車だった。

マツダMXスポーツツアラー(2001年)マツダMXスポーツツアラー(2001年)●MXスポーツツアラー(2001年)……少し間を置いて登場したのが『MXスポーツツアラー』コンセプト。多目的車が鈍重な箱型である必要はない、という提案であり、MX-30同様のフリースタイルドアを装備していた。翌2002年の登場が予告されていた『アテンザ・スポーツワゴン』のイメージリーダーだった。

マツダMXスポーツ・ラナバウト(2002年)マツダMXスポーツ・ラナバウト(2002年)●MXスポーツ・ラナバウト(2002年)……量産型『マツダ2』2代目(当時の日本では『デミオ』)の予告コンセプトカーで、デザインは量産型とほぼ同じ。

マツダMXスポルティフ(2003年)マツダMXスポルティフ(2003年)●MXスポルティフ(2003年)……量産型『マツダ3』の予告。海外では323からモデルチェンジを機に車名変更した。日本ではファミリアから『アクセラ』に変わった。

マツダMXマイクロスポーツ(2004年)マツダMXマイクロスポーツ(2004年)●MXマイクロスポーツ(2004年)……北米市場においてスモールCクラスカーの顧客創出の可能性をさぐるスタディ。量産型は日本市場に、ほぼこのままのデザインで『ベリーサ』として導入された。ベリーサは日本専売だった。

マツダMXフレクサ(2004年)マツダMXフレクサ(2004年)●MXフレクサ(2004年)……量産型『マツダ5』の予告。ミニバン『プレマシー』が2代目にモデルチェンジするのにあたって、海外では車名を変更した。日本国内ではプレマシーを継続している。

マツダMXクロスポルト(2005年)マツダMXクロスポルト(2005年)●MX-クロスポルト(2005年)……量産型『CX-7』の予告。クロスオーバーSUVである「CX」シリーズの先駆けとなった。

マツダMX-30(2019年。写真はオートモビルカウンシル2020)マツダMX-30(2019年。写真はオートモビルカウンシル2020)●MX-30(2019年)……開発責任者の竹内主査は「MX-30は電動化技術を100%搭載したモデルだ。マツダのマルチソリューションを牽引するリーディングモデルであり、新しい価値を顧客に届ける挑戦ということで、MXの名前を付けた」と、命名の背景を明かす。

《高木啓》

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