そこから藤井、寛方、チーム監督の星野選手と交代して、常に安定した走りで順位をキープ。給油のタイミングで一瞬順位は落ちるものの、それでも7位くらいまで。走り出せばもとの順位に戻し、なんと表彰台を狙える位置にまでつけていた。
ちなみに、このレース展開を司る作戦を立てたのは、スプリントレースから耐久レースまでを知り尽くした頭脳派の岡本選手。始めに耐久レースゆえの安全マージンをフルに取った作戦だったため、そこから走り方をつめても順位が落ちることはなく、逆にペースアップできる流れが作り出せていたのだ。
レースカーも、日本では正直セッティングをつめるレベルにまで走り込めてなかったのだが、各パートのスペシャリストの協力もあってか、仕上がりの完成度は非常に高いものとなっていた。エンジンチューンの甲斐あってストレートエンドは速く、またコーナリングレベルもかなり高い。サスペンション、ブレーキとも非常に良い感触である。
また、初めのうちはあまりの路面温度の高さから、不安要素になっていたタイヤの耐久性だが、まったくの取り越し苦労だということが判明。今回我がチームは、マレーシアのスコール対策としてサーキット用のSタイヤではなく、あえてスポーツラジアルタイヤを選択していた。
しかし、現地の話では雨期はすでに終わったようで、雨は降らない。ならばSタイヤの方が良かったか……とも思いかけたが、走りだしてみてからは、灼熱のセパンサーキットでも、ポテンザ『RE-01R』は、非常に高い耐久性と持久力、そして高いグリップレベルを維持している。これには正直みなが驚いた。さすがはF1で戦うブリヂストンといったところか。
しかし、レースは決して甘くないものである。ドライバーの順番が一巡したところで、他のチームと同じようにチームレスポンスにもアクシデントが発生。駆動系トラブルだった。時間はすでに朝を迎えようとしている午前7時前。レースカーのビートは、24時間を走り切ることなく、戦いを終えてしまった。
応援してくれた方々に、申し訳のない結果を迎えてしまった。チーム一同、悔いが残る。レースに『…たら、…れば』はない。わかってはいるのだが、『もし…!?』とつい考えてしまうような、セパン24時間耐久レースへの、チャレンジ結果だった。