3 | マセラティとフェラーリが切磋琢磨する時代 |
マセラティ社は、1914年設立なので、フェラーリの倍程の歴史のある名門。マセラティ社はクルマのチューニングがおもな仕事であったが、暫くして、レースカーをベースとしたGTカー制作の商売に注目した企業家アドルフォ・オルシに経営を委ねることとなる。
1947年に初のGTカー『A6-1600』をデビューさせ、1954年にはフロントエンジンのF1「250F」がチャンピオンになる。その後、250Fのエンジンを3リットルにしたスポーツカー選手権用「300S」は、欧州のみならずアメリカのレースでも大活躍することとなる。
レースカーの成功の裏でGTカーの販売は伸びず、経営再建のため1957年にレースからの撤退を決意し、GTカーメーカーとしての再チャレンジでジュネーブショーに3200GTを発表する。これがマセラティの最高傑作と言われるモデルとなるのは皮肉だ。
レースカーで培ったエンジンと、卓越したカロッツェリアのデザインテイストから、マセラティのブランドイメージが作られているわけだが、筆者としては、マセラティを「レースの貴公子」と呼ぶのが相応しい気がする。
レースで培われたダンディな魅力のマセラティと、美貌の女性アスリートのようなフェラーリが拮抗して切磋琢磨する時代がもう一度来ることを望むファンは、イタリアだけではなく、日本にも多いことは想像に難くない。
D視点:デザインの視点 筆者:松井孝晏(まつい・たかやす)---デザインジャーナリスト。元日産自動車。「ケンメリ」、「ジャパン」など『スカイライン』のデザインや、社会現象となった『Be-1』のプロデュースを担当した。 |