選挙応援で主の少なくなった衆議院議員会館で、一足先に新しい議員会館に引っ越す準備が進んでいる。会館で活動する議員やその秘書を縁の下で支えた食堂や喫茶店などのテナントの移動だ。
だが、テナントの多くは家族経営で、国会議員の栄枯盛衰を見守ってきた名物店も、姿を消す。江木徹さん(59)が衆議院第一議員会館で営業した「喫茶室和」も、6月30日で閉店した。
「議員会館が平屋のときに、母親の代から始めましたから、もう50年以上たちました」
現在の衆議院議員会館は、国会裏に2棟並んでいる。首相官邸に近いほうが第一議員会館、その隣が第二会館だ。第一は昭和38年10月、第二は昭和40年9月に竣工したが、半世紀前は平屋建てだったのだ。
10卓ほどのテーブルが並ぶ「喫茶室和」は、もともとカウンターを中心とする喫茶店だった。場所柄、お得意さんは議員と会館詰めの秘書。
60年代は、社会党(社民党の前身)の佐々木更三、勝間田清一、成田和巳といった歴代委員長が顔を見せた。「成田さんは、カウンターに座り、あんみつ好きだった」と、江木さんは言う。
後に首相となる若き日の青年も顔を見せた。「安部元首相もお父さんが議員の時、秘書としてお見えになったことがあります。小泉元首相も何度か顔をお見かけしました」。
喫茶店には、代議士の部屋を渡り歩く記者も休憩にやってくる。参院選で多忙を極める民主党選挙対策委員長の安住淳氏がお客として訪れたのは、NHKの記者時代だった。総務副大臣の渡辺周氏は読売新聞時代に、財務副大臣の池田元久氏もNHK記者時代にやってきたという。
与野党激突で国会審議が深夜から未明に及ぶときは、午後7時までの営業時間を延長して対応することもあった。だが、それも96年の衆院選で、選挙区制が導入後に、様変わりを見せた。
「選挙が小選挙区制に変わった頃からですね。選挙を意識して、会館の秘書さんも全部地元に帰って人がいないんです。中選挙区の時は、会館の秘書は会館でどっしり構えてた」。小選挙区制で議員も秘書も、時間に余裕がなくなった。
「それと自民党政権の時は、みんな宵っ張りで午後7時を過ぎてもお客さんが来てくれた。最近は午後6時にしても、お客さんが少ない。その変わり民主党の人たちは、朝が早くて8時前からコーヒーの注文が来るのですけどね」
江木さんは厨房。奥さんの益代さん(54)と、姉の萬里子さん(66)が、注文を受け、食べ物を運んだ。身内で片付けているのは、食器や調理器具だけ。テーブルと椅子、間仕切りは、衆議院の所有だ。大量のコーヒーカップを前に江木さんは、半世紀の節目をこう話した。
「終わったんだって感じで、ほっとしてますよ。残った食器は、息子に頼んでインターネット売ろうかなって思ってます」
12階建ての新議員会館は、テナントにコンビニが入り、建物管理は三菱地所が受託した。