【鈴鹿8耐】ローソン、シュワンツ、平、伊藤…鈴鹿を駆け抜けた伝説のスターライダー10傑

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WGP時代のミック・ドゥーハン
WGP時代のミック・ドゥーハン 全 15 枚 拡大写真

鈴鹿8耐はいつでもスターライダーの話題に事欠かない。単に多くの有名ライダーが出場したというだけではないのだ。

例えばかつての8耐は無名ライダーの登竜門と言われ、ガードナーを始めとする多くの選手が8耐で実力を認められ、世界に羽ばたいていった。また、一度は引退したライダーが「8耐だけは」と、カムバックすることも8耐の歴史の中で何度もあった。8耐は伝説のライダーが走るレースであり伝説のライダーを生み出すレースでもあるのだ。ここでは鈴鹿8耐の歴史を彩った国内外10人のライダーをピックアップし、解説する。

(1)ワイン・ガードナー
(2)平忠彦
(3)ケニー・ロバーツ
(4)ケビン・シュワンツ
(5)エディ・ローソン
(6)ミック・ドゥーハン
(7)アーロン・スライト
(8)伊藤真一
(9)宇川徹
(10)清成龍一

(1)ワイン・ガードナー
二輪車最高峰のレースであるWGP500ccクラスチャンピオンに輝いたオーストラリア人ライダー。無名時代にモリワキによって才能を見出され、1981年に初めて8耐を走った。決勝結果は転倒リタイアだったが、スタートでの出遅れからトップに立つ快走を見せた。予選でも驚異的なタイムでポールポジションを記録したため大きな注目を集めた。この実力アピールをきっかけにWGPにも出場し、トップライダーへと上り詰めていく、まさに8耐から誕生したスターだ。

8耐にはその後も継続的に出場し、85年に初優勝。この年は平忠彦とケニー・ロバーツというドリームペアが話題を独占し、レースでもトップを独走していたが、ガードナーは終盤に2時間近くを一人で走り続けて猛追。平、ロバーツ組のマシントラブルにより優勝を勝ち取った。レース終盤のガードナーの鬼気迫る走りは多くの観客に感動を与えた。

その後、86年、91年、92年にもそれぞれ優勝し、優勝回数は最多の4回を誇る。その参戦回数と優勝回数の多さから、ガードナーはミスター8耐とも称されている。

●8耐リザルト(年/ チーム/パートナー/順位、以下同じ)
1981年 モリワキレーシング ジョン・ペース リタイヤ
1984年 レイモン・ロッシュ リタイヤ
1985年 チームHRC 徳野政樹 1位
1986年 チーム HRC ドミニク・サロン 1位
1987年 ロスマンズ・ホンダRT ドミニク・サロン リタイヤ
1988年 チームHRC ニール・マッケンジー リタイヤ
1989年 チームHRC ミック・ドゥーハン リタイヤ
1990年 OKI ホンダRT ミック・ドゥーハン リタイヤ
1991年 OKI ホンダRT ミック・ドゥーハン 1位
1992年 OKIホンダRT ダリル・ディーティ 1位

(2)平忠彦
日本の伝説的なスターライダー。全日本ロードレースの500ccクラスで3年連続チャンピオンを獲得し、WGP参戦も果たすなど実力は折り紙つき。しかも映画俳優も顔負けの端正な容姿で特に女性の人気が高かった。

8耐には80年にプライベーターとして出場したが結果が出ず、85年にヤマハワークスとして改めて出場した。この時はWGPで3年連続チャンピオンというスター中のスター、キング・ケニーことケニー・ロバーツとペアを組み、レース前の話題を独占した。レースではポールポジションからトップを独走したが、ゴール30分前にマシントラブルという悲劇的な結末に終わっている。

その後の8耐挑戦もことごとくマシントラブルに見まわれ、悲劇のスターといったイメージが定着してしまったが、90年にヤマハのエースライダーであるエディ・ローソンとペアを組んでついに念願の初優勝を果たした。

●8耐リザルト
1985年 資生堂TECH21 RT ヤマハ ケニー・ロバーツ リタイヤ
1986年 資生堂TECH21 RT ヤマハ クリスチャン・サロン リタイヤ
1988年 資生堂TECH21 RT ヤマハ マイケル・ドゥーハン リタイア
1989年 資生堂TECH21 RT ヤマハ ジョン・コシンスキー リタイヤ
1990年 資生堂TECH21 RT ヤマハ エディ・ローソン 1位

(3)ケニー・ロバーツ
アメリカ・カリフォルニア出身のGPライダー。78年にヤマハのワークスライダーとしてWGPにフル参戦を開始。同年から3年連続で500ccクラスのチャンピオンとなる。83年、ホンダのフレディ・スペンサーとのチャンピオンを賭けた激戦は、今もなお語り継がれている。

83年でWGPを引退したが、85年の8耐で現役復帰。ブランクを感じさせない走りでポールポジションを獲得。86年は、自らのチームでライダーとして登場するが、結果は残せなかった。だが、88年には監督して8耐制覇を達成している。

●8耐リザルト
1985年 資生堂TECH21 RT ヤマハ 平忠彦 リタイヤ
1986年 チーム・ラッキーストライク・ヤマハ マイク・ボールドウィン リタイヤ
1987年 チームラッキーストライクロバーツ ジョン・コシンスキー/カル・レイボーン 3位(ロバーツは監督)
1988年 チームラッキーストライクロバーツ ケビン・マギー/ウェイン・レイニー 優勝(ロバーツは監督)

(4)ケビン・シュワンツ
アメリカ・テキサス出身のGPライダー。長身ながらダイナミックにマシンを操る天才的な走りで人気が高く、88年の日本GPでのワイン・ガードナーとの名勝負など、二輪レース史に残る名勝負を何度も演じた。WGPでの年間チャンピオンは1度だけだが、多くの人の記憶の残るライダーといえる。

8耐には85年から参戦。日本の人気ライダーである辻本聡とペアを組んだこともある。しかし優勝はならず、88年にダグ・ポーレンと組んで2位を獲得したのが最高順位だ。85年から90年頃はホンダとヤマハが威信をかけて優勝を争っていた時期で、多くのトップライダーを招聘し、何台ものワークスマシンを走らせていた。そのなかでヨシムラ、もしくはヨシムラスズキから参戦するシュワンツの活躍は、たとえ優勝がなくても評価できるものだ。スズキファンだけでなく全ての8耐ファンからも愛されたライダーだといえる。

2013年、49歳にして、チームカガヤマから8耐にカムバック。同年の8耐の最大の話題となった。2014年も参戦したが、スタート早々のチームメイトの転倒により、決勝を一度も走らずにレースを終えた。

●8耐リザルト
1985年 チームヨシムラモチュール グレーム・クロスビー 3位
1986年 ヨシムラ 辻本聡 3位
1987年 ヨシムラ・スズキ・オリオフィアット 大島行弥 リタイヤ
1988年 ヨシムラ・スズキ・シエットGP1 ダグ・ポーレン 2位
1989年 ヨシムラ・スズキ・シエットGP1 ダグ・ポーレン 8位
1992年 ラッキーストライク・スズキ ダグ・チャンドラー リタイヤ
2013年 Team KAGAYAMA 加賀山就臣・芳賀紀行 3位
2014年 Legend of ヨシムラスズキシェルアドバンスレーシングチーム リタイア 

(5)エディ・ローソン
アメリカ・カリフォルニア出身のGPライダーで、ケニー・ロバーツ引退後のヤマハのエースとして、500ccクラスで84年、86年、88年にチャンピオンを獲得。89年にはホンダに電撃移籍し、ここでもチャンピオンを獲得するなど、チャンピオン請負人として知られる。

8耐には、日本では無名時代の80年にカワサキマシンを駆り出場。90年には平忠彦のペアとして初優勝。93年にはホンダで、94年には再びヤマハで出場している。常に冷静沈着なレース運びから、ステディ・エディと呼ばれたが、8耐で優勝した時の全身で喜びを表すポーズに感動したファンも少なくない。

●8耐リザルト
1980年 チーム・カワサキ グレッグ・ハンスフォード 2位
1990年 資生堂TECH21 RT ヤマハ 平忠彦 優勝
1993年 am/pmカネモト・ホンダ 辻本聡 2位
1994年 Y.R.T.R 永井康友 4位

(6)ミック・ドゥーハン
オーストラリア出身のGPライダーで、同じオーストラリア人のワイン・ガードナーの跡を継ぎ、ホンダのエースライダーに君臨した名選手。8耐には87年と88年にヤマハから、89年以降はホンダから参戦。この頃はまだ若手であり、ホンダでは先輩ライダーでホンダのエースであるワイン・ガードナーとペアを組んだ。

このオーストラリア人ペアは3年に渡って8耐に挑戦し、しかもその全てで予選1位という驚異的な強さを発揮した。しかし89年と90年はいずれもリタイヤ。特に90年はガードナーが走行中にガス欠でストップという悔しい結末となった。

翌年の91年はガソリン点検窓やリザーブポジション付きの燃料コックを装備したRVFで参戦。この年の8耐は雨に翻弄されたが、ドゥーハンとガードナーはヘビーウェットの路面にも動じず安定した走りで優勝した。

その翌年の92年、ドゥーハンはWGPで圧倒的な強さを見せながら転倒で大怪我を追う。その後遺症で93年も振るわなかったものの、94年に年間チャンピオンに輝くと、翌年から5年連続でWGPを制した。怪我を克服した精神力と圧倒的な強さから、絶対王者とも呼ばれた。

●8耐リザルト
1987年 ネスカフェ・アメリカーナRT ロドニー・コックス リタイヤ
1988年 資生堂TECH21レーシング 平忠彦 リタイア
1989年 チームHRC ワイン・ガードナー リタイヤ
1990年 OKIホンダRT ワイン・ガードナー リタイヤ
1991年 OKIホンダRT ワイン・ガードナー 1位
1993年 チームHRC ダリル・ビーティ 4位

(7)アーロン・スライト
8耐史上で唯一、3年連続で優勝したライダー。80年代に8耐で活躍したライダーがいずれもWGPのライダーであるのに対して、スライトは主にスーパーバイク世界選手権で活躍した選手だ。

91年にカワサキから8耐に挑んだスライトは、6位でフィニッシュ、翌年も同じように6位で、スライトに大きな注目が集まることはなかった。しかし、93年にスコット・ラッセルとのペアで初優勝。これはカワサキにとっても初めての優勝だった。

翌92年はホンダに移籍してダグ・ポーレンとのペアで参戦。スコット・ラッセル/テリー・ライマーペアと熾烈なドッグファイトを演じながら、僅差で優勝を勝ち取った。翌93年は日本人の岡田忠之とのペアで参戦し、今度は伊藤/辻本ペアと熾烈なトップ争いを展開。僅差でこれを制して優勝した。

●8耐リザルト
1991年 チーム・ムービング・カワサキ マイケル・ドーソン 6位
1992年 チーム・ムービング・カワサキ ロブ・フィリス 6位
1993年 伊藤ハム・レーシング・カワサキ スコット・ラッセル 1位
1994年 チームHRC ダグ・ポーレン 1位
1995年 チームHRC 岡田忠之 1位
1996年 カストロール・ホンダ 岡田忠之 リタイヤ
1997年 カストロール・ホンダ 岡田忠之 6位
1999年 カストロール・ホンダ コーリン・エドワーズ 2位

(8)伊藤真一
実績、人気両面で日本を代表するスターライダー。端正な顔立ちで女性ファンが多いが、そのルックスからは想像できないほどタフな鉄人でもある。怪我を乗り越えて四半世紀にもわたって、レースの第一線で活躍した。

8耐への参戦は88年から2011年まで24年にも及ぶ。当初から常に上位に食い込んできたが、97年に宇川徹とのペアで念願の初優勝を達成。これは、台風の直撃で6時間に短縮された82年を除けば、日本人同士のペアによる初めての優勝となった。翌98年も同じペアで2連覇を達成している。

その後、ホンダを含めた各メーカーがワークス活動から撤退していく中、プライベートチームから参戦を継続。2003年からは地元鈴鹿のプライベートチームTSRから参戦し、2006年に辻村猛とのペアで3度めの優勝を飾っている。さらに2011年にはTSRから秋吉耕佑、清成龍一との3人体制で参戦。伊藤が走ったのは1時間弱ではあったが、4度目の優勝を飾り、ワイン・ガードナーと並んで8耐で4回の優勝を達成した。

●8耐リザルト
1988年 SEEDレーシングチーム・ホンダ 田口益充 7位
1991年 ペンタックス・ホンダRT ダリル・ビーティ 7位
1992年 チームHRC 辻本聡 リタイヤ
1994年 am/pmホンダ 武石伸也 3位
1995年 チームHRC 辻本聡 2位
1996年 TRFホンダ 辻本聡 11位
1997年 ホリプロ・ホンダwith HART 宇川徹 1位
1998年 ラッキーストライク・ホンダ 宇川徹 1位
1999年 ラッキーストライク・ホンダ 宇川徹 リタイヤ
2000年 チーム・キャビン・ホンダ 鎌田学 8位
2003年 F.C.C. TSR ZIP-FM RT 辻村猛 3位
2004年 F.C.C. TSR ZIP-FM RT 辻村猛 リタイヤ
2005年 F.C.C. TSR ZIP-FM RT 辻村猛 14位
2006年 F.C.C. TSR ZIP-FM RT 辻村猛 1位
2007年 F.C.C. TSR ZIP-FM RT 手島雄介 3位
2008年 F.C.C. TSR Honnda 辻村猛 リタイヤ
2009年 F.C.C. TSR Honnda 秋吉耕祐 9位
2010年 ケーヒン・コハラ・レーシングチーム 玉田誠 2位
2011年 F.C.C. TSR Honnda 秋吉耕祐、清成龍一 1位

(9)宇川徹
90年代から2000年代にかけてホンダワークスライダーとして活躍した日本のエース。90年に4耐で優勝して頭角を現した。93年、94年と全日本ロードレース選手権GP250で連続チャンピオンを獲得すると、96年からはWGPに挑戦。8年にわたってフル参戦し、最高で年間ランキング2位となるなど好成績を残した。

鈴鹿の耐久レースとの縁が深く、90年の4耐優勝の翌年には6耐で優勝。当時は1回のレースウィークの間に8耐、6耐、4耐、2耐(2耐は4耐の敗者復活戦)が開催され、「耐久レースピラミッド」と称されていたが、宇川は2耐を除く全てのレースで優勝経験がある。

8耐には94年に初出場。この年はスタート30分後に大きな事故があり赤旗中断となったが、この事故に宇川も巻き込まれ、負傷した。しかし97年には伊藤真一とのペアで初優勝を飾る。その後、98年には同ペアで、さらに2000年には2003年に事故死した加藤大治郎とのペアで優勝。2004年・2005年も優勝し、8耐5勝という前人未踏の記録を達成した。また、この5回の優勝は全て、97年から2004年にかけて達成されたホンダの8耐9連覇の期間中。まさにホンダ9連覇の立役者といえる。

●8耐リザルト
1994年 チームHRC 岡田忠之 18位
1995年 チームHRC 武石 伸也 リタイヤ
1997年 ホリプロ・ホンダ with HART 伊藤真一 優勝
1998年 ラッキーストライク・ホンダ 伊藤真一 優勝
1999年 ラッキーストライク・ホンダ 伊藤真一 リタイヤ
2000年 キャビン・ホンダ 加藤大治郎 優勝
2001年 キャビン・ホンダ 加藤大治郎 4位
2004年 セブンスター・ホンダ 井筒仁康 優勝
2005年 セブンスター・ホンダ 清成龍一 優勝

(10)清成龍一
ホンダのライダーとしてブリティッシュスーパーバイク選手権やスーパーバイク世界選手権、アジア選手権で活躍し、昨年からはBMWのライダーとしてブリティッシュスーパーバイク選手権に復帰。今年は4回めの年間チャンピオンを目指す。

8耐には2000年から参戦。2005年に、すでに4回の優勝経験があった宇川徹とペアを組んで優勝を果たした。宇川は翌年に引退したため、この年の優勝は宇川から清成へのホンダのエース交代を象徴していたとも言える。実際、清成は翌年以降、ホンダからの参戦を続け、これまでにワイン・ガードナーや伊藤真一と並ぶ4回優勝という実績を残している。特に4回めの優勝となった2011年は転倒で交代しながら、清成の驚異的なハイペースでの追い上げて逆転優勝を勝ち取った。

すっかりホンダの顔となった清成だが、2013年暮れに、BMWへの電撃移籍を発表。ライダーが別のメーカーに移ることは珍しくないが、ホンダ一筋であった清成の移籍はファンにもレース関係者にも大きな驚きだった。この移籍はブリティッシュスーパーバイク選手権への出場のためであり、世界で戦いたいという清成の情熱の結果といえる。

●8耐リザルト
2000年 チーム高武と桜井ホンダ 梨本圭 9位
2001年 桜井ホンダ 中冨伸一 リタイヤ
2003年 セブンスター・ホンダ ニッキー・ヘイデン リタイヤ
2005年 セブンスター・ホンダ 宇川徹 優勝
2006年 セブンスター・ホンダ 玉田誠 5位
2008年 ドリーム・ホンダRT カルロス・チェカ 優勝
2010年 MuSASHiRT HARC-PRO 高橋巧・中上貴晶 優勝
2011年 F.C.C.TSR Honda 伊藤真一・秋吉耕佑 優勝
2012年 MuSASHi RT HARC-PRO 高橋巧・青山博一 41位
2013年 F.C.C.TSR Honda ジョナサン・レイ リタイヤ

《レスポンス編集部》

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