イタリア版「平成の30年」、ローストチキンとパンダ…大矢アキオ【平成企画】

筆者が1999年に購入した走行12万8000km・12年落ちのランチア・デルタ(1987年型)。
筆者が1999年に購入した走行12万8000km・12年落ちのランチア・デルタ(1987年型)。全 10 枚

12年落ちランチアのおかげで

まずはイタリアに住んで22年になる筆者自身について、平成という元号を用いながら振り返ってみる。

平成元年は、東京の音大を卒業した年であった。恩赦で卒業試験が免除になるか? などと勝手に想像していたが、もちろんそんなことは無かった。ともあれ、運良く新卒で当時神保町にあった出版社の自動車誌編集部に就職することができた。

それから約8年。30歳のときだった。「平成8年・社会人8年目で末広がり」という勝手な自己解釈で会社を辞めた。「この先もうちょっとサラリーマン」と思い始めると10年・20年と会社員を続けてしまいそうだったからである。

そして会社を辞めて6日後に結婚し、その数日後、かつて海外出張で行く機会に恵まれなかっただけに憧れ募ったイタリアで学生生活を始めるという、今考えるとかなり無謀な転身を図った。それでも住み始めた途端、サラリーマン時代たびたび襲われたストレス性胃痛がピタリと止んだ。

シエナ外国人大学で2年学んだあと「何か仕事を」と考え、まずはイタリア人が主宰する料理教室の広報兼通訳業務を始めた。当時の日本はイタリアブーム。お洒落な料理留学を目指す女子が少なからずいたのである。

しかし、女房と2人生活を維持できる収入には程遠かった。モノ書きで食おうと思っても、日本でフリーランス経験無しのままイタリアに来てしまった筆者に原稿の引き合いなどない。これはいつか日本に引き返すしかない。そう考えて、それまでのイタリア生活を記録のつもりで綴った。ところが原稿を知人が東京の出版社に持ち込んでくれたところ、刊行してもらえることになった。2000年(平成12年)のことだった。
ランチア・デルタを下取りに出す日に記念撮影。2003年。ランチア・デルタを下取りに出す日に記念撮影。2003年。

イタリアを離れる前に各地を旅しようと思い、当時の換算レートにして約27万円で購入した12年落ちのランチア『デルタ』との格闘を記した『イタリア式クルマ生活術』も2002年(平成14年)に発売された。

それらを機会に日本から原稿の仕事もちらほらと舞い込むようになり、なんとか2人で喰っていけるようになった。

日本人=産業スパイ?

かくしてイタリア住民としての首が繋がったボクは、シエナという地方都市に住んだおかげで昔ながらの食生活を垣間見ることができた。

この時期思い出すのは、イタリア人の知人とともに過ごしたクリスマスである。郊外の農家で鶏を分けてもらい、その足で彼らの宅になだれ込み、締めたての鶏の羽根をむしった。そして暖炉でじっくりローストすると、オリーブオイルと塩だけの味付けにもかかわらず、東京のフライドチキンとは別格の味がしたものだ。

いっぽうで、イタリア人の日本食に対する知識はまだまだ浅かった。寿司と刺し身の違いを知る人は少なく、それらを食べた人は限りなくゲテモノ喰い認定かヒーロー的扱いだった。

「日本=コピー民族」という偏見にも根強かった。車イベントで写真を撮影していると「何の産業スパイに来たんだ?」とからかわれるのはしょっちゅうだった。歴史的な前後関係も無視して「スバルのフラット4は、アルファスッドのものをパクったものだろ」と平然と話す親父もいた。
2002年7月、北部トレヴィーゾのランチア愛好会ミーティングを取材したとき。2002年7月、北部トレヴィーゾのランチア愛好会ミーティングを取材したとき。

前述の中古ランチアも、イタリア社会への視野を広げてくれた。最初に気づいたのは、街でフェラーリに遭遇するのは1年のうち数度、ランボルギーニに至っては無い年もあるということである。イタリア人はそれらをリスペクトしていても、輸出商品であると割り切っていた。それを知った筆者は、イタリア人の視点で、普通のクルマ生活を日本のメディアに書き続けた。

当時オートマチック車はほとんど普及しておらず、「ATはハンディキャップをもった人の車」という認識が強かった。珍しくAT車オーナーだったおじいさんは、第二次大戦中アルバニア戦線で地雷を踏み、片足を失くした人だった。

それでも、今日より高級車がよく売れていた。アルファロメオ『164』、ランチア『テーマ』といった大きなセダンの人気がひと段落すると、今度はBMW『X5』、メルセデスベンツ『ML』といったSUVが引く手あまたとなった。ボクの周囲の中小企業経営者や豊かな年金生活者1年生も得意になって乗っていたものだ。

話が前後するが1999年には高速道路の運営が民営化され、アパレルで有名なベネトン一族が所有する持ち株会社が大株主となった。

ベルルスコーニ政権時代の2009年(平成21年)には、運輸大臣が一部高速道路の制限速度を現行の130km/hから150km/hへと上げる案を示唆した。フィアットもイタリア系カナダ人経営者セルジオ・マルキオンネの采配と、2007年(平成19年)の現行『500』などの成功により、業績回復を果たした。

週末には多くの人々が自動車ディーラーに足を向け、新型車を楽しんだ。毎年12月開催のボローニャ・モーターショーでは、国内メーカーだけでなく国外ブランドもワールドプレミアを行った。まさに自動車業界にとって活気に溢れた時代であった。

伝統的モーターショーも中止

かわって今日2018年(平成30年)、イタリアで自動車を取り巻く環境は、さまざまな意味で変化した。例のオートマチックに関していえば、『イル・ソーレ24オーレ』紙電子版によると、2017年に普及率が20%を超えた。日本のそれと比べれば一笑に付す数字だが、多くの人々が購入時ATを選択肢にするようになった。

ただし、全体的には車に対して逆風が吹いている。2011年(平成23年)、欧州経済危機の余波でイタリアがIMF(国際通貨基金)の監視下に入ったこともあり、ベルルスコーニは辞任した。すると、後任の首相となったマリオ・モンティは脱税による贅沢品購入への監視を強化した。外国製高級車ユーザーは各地でイタリア財務警察の検問に止められるようになった。そうしたこともあって、人々の車購入熱は次第に冷めていった。

イタリアの自動車業界団体「アンフィア」によれば、2008年(平成20年)には年間216万台だった国内販売台数は、2017年(平成29年)には約197万台にまで減少している。

若者の車離れも進んでいる。イタリア公共事業・運輸省の発表をみると、2016年における18-19歳の運転免許取得者数は約28万7000人で、これは2012年比で8.4%のマイナスである。筆者が車の話題を若者に振っても「暖簾に腕押し」を感じることが増えた。

前述の制限速度引き上げ案は環境問題を訴える声の高まりとともに消えた。代わりに自動速度自動取締機が各地に設置されるとともに、自治体による反則金の金額も上昇した。従来の走り好きイタリア人も車のパフォーマンスを存分に楽しむことができなくなった。ボローニャ・モーターショーは2013年と2015年に続き、2018年も出展者減少により中止となった。高齢化も新車需要の減少に拍車をかける。世界銀行のデータによれば、イタリアの2017年高齢者人口比率率は、日本(27.05%)に次ぐ23.02%である。

自治体の予算不足による道路補修の遅れも目立つようになった。そればかりでなく重大事故が相次ぎ、2018年(平成30年)8月にはジェノヴァで深刻な高速高架橋崩落が発生した。2018年現在、イタリアでは過去5年で10件の橋崩落事故が起きている。補修の怠慢という時限爆弾が爆発し始めたかたちだ。

生産終了20年後も引く手あまたの「あの車」

食生活に関しても、農家で鶏を分けてもらうなどという行為は、EUの食品衛生管理規定上、到底不可能となった。

と、世知辛いことばかり書き連ねたが嬉しいこともある。中国をはじめとするアジア系経営者によるものとはいえ、寿司レストランがポピュラーとなった。同時に、ベルルスコーニ系企業である民間テレビ局が放映権を取得しては流していた日本製アニメで育った世代が社会を支えるようになった。さらに近年は日本政府による観光新興のおかげで、実際に日本を訪れたイタリア人も若者を中心に増えてきた。「このあいだ東京行ってきたぜ」「長野でスノボしてきたよ」と声をかけてくる若者も少なくない。人々の親日感情は大幅に向上した。

そうした中、唯一変わらないものといえば?

初代フィアット『パンダ』だ。生産終了から20年になろうとしている今日でも、街なかで、高速道路で頻繁に見かける。
初代パンダを愛好する人々。ミッレミリアの定番コースでもあるシエナ県ボンコンヴェントで。初代パンダを愛好する人々。ミッレミリアの定番コースでもあるシエナ県ボンコンヴェントで。

日本のクルマ好きとは対照的に、それを手がけた天才デザイナー、ジョルジェット・ジウジアーロについて知るイタリア人は多くない。それでも人々は初代パンダに乗り続ける。市場もそれに追随して、中古車検索サイト「オートスカウト24」を見れば、14万km近い1999年モデルに約2000ユーロ(25万円)のプライスタグが付いていたりする。

その徹底したシンプルさが、彼らのツボにはまっているのだ。筆者の知り合いのおばさんは初代パンダを探しては乗り継いでいる。そればかりか、かつてドイツ製大型SUVに乗っていた人たちも乗るようになった。かつてBMW X5を愛用していた別の知り合い夫妻も、今はパンダを喜々として愛用している。自動運転車の時代になっても、ふと隣の車線を見れば初代パンダが並走しているに違いない、と今から筆者は読んでいる。

最後も筆者自身のことで締めよう。気がつけばイタリア物書き生活歴は、日本の会社員ジャーナリスト時代の2倍半以上になっていた。
2018年9月、北部サルソマッジョーレ・テルメで開催されたピアッジョ社製3輪トラック「アペ」の70周年ミーティングで。著者近影。2018年9月、北部サルソマッジョーレ・テルメで開催されたピアッジョ社製3輪トラック「アペ」の70周年ミーティングで。著者近影。

もしも平成の30年間に、イタリアで日本のクライアント相手にスーパースポーツカーやヴィンティッジモデルの輸出業なんぞ立ち上げていたら? 今ごろ郊外に豪邸を構え、庭に血統証付きのグレイハウンドを放ちフェラーリに乗っていたかもしれない。しかしながらそんな商才と度胸は持ち合わせていなかった。

それ以前に筆者は犬が苦手、かつサソリ1匹見つけただけで気が動転して「スコルピオーネ」というイタリア語を忘れ「アバルト、アバルト!」と騒いでしまう。郊外生活にはまったく不向きである。

ということで平成最後の大晦日も、クリスマスの残り物セール品で作った料理をシエナの小さなアパルタメントに並べて過ごすことになりそうだ。

近年イタリアでも都会の小さな部屋に住むのがトレンドとなる兆しが見えてきた。たとえば『コスモポリタン』の電子版は、「小さな部屋に住む11のおトク」と題した特集を組んでいる。いつか「カリスマ収納名人ライター」に転身しようかと目論んでいる今日このごろである。

(コラムニスト/イタリア文化コメンテーター)

《大矢アキオ Akio Lorenzo OYA》

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