35回目を迎えるマロニエランin日光が4月19日から20日にかけて開催された。主催はマロニエラン実行委員会。

いまから35年前の1990年4月に第1回目のマロニエランin日光が開催された。そのころからツーリングだけでなく、良いホテルに1泊してちょっとだけお洒落をしながら、美味しい食事とお酒、そしておしゃべりを楽しむというスタイルをとっており、これはいまも変わらない。つまり、“変わらない”のがこのイベントの魅力なのである。したがって、参加者の多くはリピーターであり、何よりも主催者のほとんどは当時からの方々ばかりである。

さて、35回目を迎える今回も快晴の中、日光霧降アイスアリーナ(栃木県日光市)に集合した参加車両は約40台で、1927年のブガッティ『T37A』やディノ『246GT』などバラエティに富んだクルマたちが並んだ。

まずはジムカーナを3回。最初は完熟を兼ねて主催者が指定したタイムにどれだけ近いかを競い、残りの2回は純粋に速さを競うもの。ジムカーナ仕様に仕上げられたMG『ミジェット』やクラシックミニなどは当然速いのだが、ジムカーナからは大きくかけ離れたシトロエン『DS』がその巨体をゆすりながらパイロンを駆け抜けていく姿はなかなか迫力のあるもの。しかしドライバーに聞くと、決して不安にさせる挙動ではなく、十分に楽しめたとのことだった。


ジムカーナが終わるとおよそ100kmのツーリングだ。途中でこれもまたおいしい昼食を明治の館 山のレストラン(栃木県日光市)でいただいた後、日光いろは坂を駆け上り一路宿泊地である中禅寺金谷ホテルを目指す。通常この季節は日光周辺で15度くらい、中禅寺湖当たりでは10度を切る気温なのだが、この日はどちらも5度以上高く、さすがにクルマもドライバーも少々ハードな工程だったようだ。


ゴール後は待ちに待ったパーティだ。参加者は冒頭の通りおめかしをして美味しい食事とお酒、そしておしゃべりに興じ、そこには職業や年齢にこだわらない和やかな雰囲気が漂っていた。
翌日は朝からコンクールデレガンスの審査が行われた。主催者の独断と偏見による審査なのだが、審査員も参加者でもあるので、ついついほかの参加者たちとのおしゃべりに華が咲き、そこにまたほかの参加者が加わり、ここでもまたまた楽しい時間が流れていた。そう、マロニエランin日光では、このイベント期間中は独特の時間が流れていて、誰もあくせくせず、時間に追われず、皆笑顔でゆるりとした時間を楽しんでいるのである。
そのコンクールデレガンスの結果は、きれいに仕上げられ、かつ、ジムカーナもスムーズに走り抜けたポルシェ『356B』や、前述のシトロエンDS、長年かけて自ら手を下してレストアしたジャガー『XK120ロードスター』などが受賞。いずれもクルマだけでなく、オーナーも含めて審査員の目に留まったことが大きなポイントになったようで、参加者のだれからも異議を唱える者はいなかったことから、皆もそう感じていたことがうかがえた。

35年もイベントを続けることは本当に大変なことで、主催者には頭の下がる思いだ。そこには主催者と参加者という垣根がなく、皆でイベントを楽しもうという気持ちが感じられる。だからこそリピーターが多く、中には35回すべてに参加している人たちもいるのだろう。同時に初参加の人たちも温かく迎え入れ、一緒に楽しむ様子もあちらこちらで見られる本当に懐の深いイベントといえるだろう。
主催者によると、来年も同時期に開催するべく準備を進めるそうだ。
今回の取材では、ニコル・レーシング・ジャパンからBMWアルピナ『B4GT』をお借りしたのでその印象を触れておきたい。最後のアルピナのコンプリートカーであるB4GTで何よりも感じ入ったのはサスペンションだ。特にコンフォートプラスを選択すると固さの中にしなやかさが生まれ、見事な足さばきを披露する。日光周辺は荒れた路面が散見されるのだが、そういったシーンでもしっかりとタイヤは路面をとらえて離さない。これは高速道路でも同様だ。そしてBMW『4シリーズ』の少し過敏なステアリングの動きも消え去り、軽くステアリングに手を添えているだけで矢のように直進してくれるのはまさにGTの名にふさわしい走りだと感じた。今後、アルピナブランドがどうなるのか明確な発表はされていないが、ボーフェンジーペン家の新たなビジネスに期待したい。
<協力:ニコル・レーシング・ジャパン>
