バンコクの空の玄関「スワンナプーム国際空港」からまっすぐに伸びた高速道路を走り市内へ向かう。
対向車線をすれ違う車の大半は日本車。しかも、「TOYOTA」や「ISUZU」などの横文字の付いたピックアップトラックがやたらと目に付く。時折、フォードやメルセデスベンツ、BMWなどの欧米車も見かけるが、市街地の大渋滞の中では、ショッキングピンクのド派手なボディカラーの「カローラ」のタクシーなどに囲まれて存在感が薄い。
交通ルールも日本的。車両は左側走行のため右ハンドルが主流だ。日本の道路を走っているのと大差はないが、渋滞の中をすり抜けるバイクタクシーやすし詰め状態のレトロなオート三輪タクシーが路上で幅をきかしているのは、この国ならではの光景だ。
2010年度のタイ国内の新車販売台数は前年比35%増の84万台強。このうち、トヨタなどの日本車は77万台。日本勢の“独壇場”でASEAN諸国の中ではインドネシアとともに国内市場のシェア9割を超す。一方、総生産台数182万台のうち、日本車メーカーの現地生産分は171万台でこちらも9割以上を占める。
もっとも、タイ国トヨタ自動車の棚田京一社長は「今年の生産台数は前年実績を上回るものの、どんなに頑張っても年初の計画目標に届かない」と悔しがる。東日本大震災後、トヨタのタイ工場でも日本からの一部の部品供給がストップしたため「4月中の稼働率は30%程度に落ち込んだ」(サムロン工場幹部)という。
円高に電力不足、しかも若者の車離れで作ってもなかなか売れない日本とは正反対。恵まれた経営環境で、トヨタにとってもタイ国の自動車市場は重要な稼ぎ頭である。そのリーディングカンパニーのかじ取り役を務める棚田社長をトヨタのバンコクオフィスで直撃インタビューした。
1 | 創立50周年を迎えるトヨタのタイ法人 |
--- トヨタがタイに進出してから間もなく50周年を迎えるそうですね。
棚田 1962年10月の設立ですから、正式には来年です。記念イベントとしては、お客様への感謝の意を込めて、交通安全を中心とする社会貢献と教育分野での奨学金制度の拡充などを検討中です。タイ国民は勤勉で、教育のための費用は惜しまない。トヨタの工場に勤務する人たちをみても、地方から出てきて、自分の学歴以上に子供には大学まで進学をさせようと熱心です。そういう真面目な国民に少しでもお役に立つようなことを考えています。
--- タイ国トヨタの社長という重責を果たす傍ら、この春から1300社余りの日系企業が加盟するバンコク日本人商工会議所の会頭にも就任されましたね。
棚田 ここの会頭職は、三菱商事、丸紅、三井物産とトヨタの4社が持ち回りで1年の任期で担当していますが、4年に1回の順番がたまたま今回、私の赴任中に回ってきました。
--- 就任直前に東日本大震災が発生しました。
棚田 バンコクにいて、まるでCGの映像を見ているようで、信じられませんでした。大震災後は、トヨタのタイ工場も減産に追い込まれましたが、4月の1か月余り影響を受けただけで思ったよりも早く正常化のメドかついて助かりました。
--- 今年の生産や販売計画に影響はないですか。
棚田 残念ながら、増産に次ぐ増産でどんなにリカバリーしても、昨年の台数を上回ることは可能ですが、今年の生産計画の目標には5万から7万台ほど届かなくなる。従って、この国では総需要が二ケタで伸びてまもなく100万台を突破しますから、今年はタイでのトヨタのシェア(注=10年度41.3%)が下がることは覚悟をしています。それで、来年以降、タイにもバブル景気がやって来るような予感がしていますから、本当の勝負は来年以降だと、気持ちを切り替えているところです。
2 | 震災後、日本の中小企業のタイ視察が活発 |
--- 震災後、日本の企業がASEAN各国への移転の動きが強まっていると聞いていますが?
棚田 金型など自動車部品メーカーを中心に中小企業の視察の問い合わせが通常の4倍以上に増えています。私どももタイ進出を希望される日本企業の支援を出来る限りお手伝いをさせていただいていますが、それぞれの動機を伺うと2つのパターンに大別される。1つは、日本国内では震災後、電力不足などで経営環境が悪化してこのまま続けることができないため、そっくり移転したいという考え方。もう1つは、日本だけではリスクが大きいので、第3の拠点としてタイに進出したいという考え方です。正直に言うと、前者のタイに行けば何となるという考え方では厳しいですね。その点は、橋渡し役の金融機関などからも説明をされていると思います。
--- 現実はそう甘くないということですね。一方で、すでに進出された企業にとっても無視できないのが、先の総選挙で圧勝したタクシン元首相派のタイ貢献党が選挙公約の中で法定最低賃金の引き上げを表明していますね。
3 | この国の与党も野党も経済の活性化では意見が一致 |
棚田 初の女性新首相に就任されるインラックさんが選挙後も訴えているのは「1日1律300バーツ(約810円)」に引き上げるという賃金政策です。一方で、法人税率を現在の30%から23%まで軽減する措置も検討されており、可処分所得が増えて購買力がアップすることは、自動車業界にとってはウエルカムです。ただ、サプライヤーなどの中小企業にとってはかなりの負担増につながって経営が厳しくなる可能性は無視できません。所得が増えることは悪くはないが、それが価格にハネ上がって競争力を失わうようでは日本の二の舞になりかねません。
--- そこまで日本の真似をしてほしくない?
棚田 昨年春、バンコク市内で政権争いの騒乱が起こりましたが、「赤シャツ」と呼ばれた反政府派のデモ隊は東京で言えば丸の内のような市街地の一部は占拠しましたが、空港や港湾の閉鎖を避けました。この国は与党も野党も思想の違いはあっても経済を活性化させることでは意見が一致しています。新政権に変わっても2015年までに自動車生産台数で世界の国別トップ10入りを目指すという目標は引き継がれると思います。現在は180万台で世界ランクで12位ですが、トップ10入りには年間250万台以上に引き上げることが必要です。
--- 目下、そのシェア9割以上が日本車ですが、インドネシアなどでは、欧米勢や韓国勢が猛攻をかけ始めています。そのままシェアを維持することはできますか。
棚田 タイ国とは歴史は古く友好の絆も深い。日本車メーカーにとっても恵まれた経営環境です。この国の自動車産業の育成に、ライバルに入り込むスキを見せないよう、オールジォパンで守り抜くのが我々の使命だと思っております。
プロフィール:棚田京一氏……1954年生まれ56歳。東京外語大学卒、大学ではタイ語科を専攻、商社マンにあこがれて自動車販売の旧トヨタ自販に入社。1985年から6年間タイに駐在。その後、海外企画部、人材開発部室長、アジア部主査、豪亜中近東事業部長などを経て、2009年6月からトヨタ自動車タイランド社長に就任。バンコク日本人商工会議所会頭も務める。東京都出身。