愛知県のトヨタ本社地区で行われた『クラウン』試乗会にて、ひとつの目玉イベントが用意されていた。それが、初代クラウンの後席試乗というものであった。
この初代クラウンをドライブしていただいたのは、自らも同世代のクラウンを所有しているという石川實さん。息子さんはなんとレクサス『LFA』のボディ開発に携わったという現役のトヨタマンで、トップガンの資格もお持ちだという。
初代クラウンの後席は信じられないくらいにふわふわのクッションを採用していた。試乗車は1960年型。まだまだ舗装されていない道路も多かった時代、サスペンションで吸収しきれないショックはシートで吸収していたのだろう。道路がクルマを作るとは、よく言ったものだ。また、シートの両端には肘掛けが用意してあり、まるで小さなソファのような設計、肘掛けをシート側に作ってしまうというのも今では考えられない設計だ。
エアコンなんてない時代のクルマだけに、車外の空気をどう取り入れるかは大事なことだった。サイドウインドウの前側は三角窓と呼ばれる形状で、風を受け入れて車内に導入することができた。また、ボンネットのフロントウインドウよりには、ポップアップする空気導入口が設けられている。
それなりに振動はあるが、けっこうしっかり走るのにはビックリ。今このまま乗っても楽しいのでは、と思わせる乗り心地だ。もちろん高速道路時代の前のクルマだから、速度が出るわけではないが、あくまで50年以上も前であることを考えればそれはそれは立派だ。
機構的に面白かったのはホーンとキャブレター。ホーンは今の一般的なものよりも音量が大きく、低音が響くもの。音質としては荘厳な雰囲気にあふれている。キャブレーターはフロート室がガラス張りになっていて、油面状態がボンネットを開けるだけで確認できるようになっていたこと。つまり、それだけ油面が狂うことが多かったのだろう。
純国産の乗用車を作りたいという気持ちが形となったのが初代クラウンだ。その現物を見て乗ったことで、日本人が忘れてはならないスピリッツを感じることができた。これはけっして忘れてはならないことなのだろう。
諸星陽一|モータージャーナリスト
自動車雑誌の編集部員を経て、23歳でフリーランスのジャーナリストとなる。20歳代後半からは、富士フレッシュマンレースなどに7年間参戦。サーキットでは写真撮影も行う、フォトジャーナリストとして活躍中。趣味は料理。