幻の鉄路「広浜鉄道今福線」、観光活用策考えるシンポ開催

鉄道 行政
島根県立大学浜田キャンパスで行われた「広浜鉄道今福線」のシンポジウムの様子。約200人が参加した。
島根県立大学浜田キャンパスで行われた「広浜鉄道今福線」のシンポジウムの様子。約200人が参加した。 全 8 枚 拡大写真
島根県浜田市内の島根県立大学浜田キャンパスで8月8日、幻の鉄道路線(未成線)として知られる「広浜鉄道今福線」の観光活用策を考えるシンポジウムが開催され、約200人が参加した。

広浜鉄道は、中国山地を縦断して瀬戸内海側の広島市と日本海側の浜田市を結ぶ計画だった鉄道路線。広島県側では、山陽本線の横川駅(広島市西区)から可部駅(安佐北区)までの区間が私鉄路線として1911年までに開業し、1936年には国有化されて国鉄可部線になった。その後は国鉄の手により延伸工事が順次進められ、戦後の1969年までに三段峡駅(現在の安芸太田町)まで開業した。

一方、島根県側でも今福線として計画され、1933年には現在の浜田市内になる今福から山陰本線下府駅までの区間(旧線)が着工。1941年までに路盤工事が完了したものの、戦争の影響で鉄材が不足したため建設は中止された。戦後は今福から浜田駅に直接向かうルート(新線)に変更した上で1969年から工事に再着手。1974年には三段峡~石見今福間の工事計画も認可されたが、国鉄の経営悪化に伴い1980年に工事が凍結された。

その後、可部線は可部~三段峡間が2003年に廃止。今福線も再着工することなく幻の鉄路と化したが、今福~下府・浜田間は旧線を中心にトンネルやコンクリートアーチ橋などの遺構が多数残っており、三段峡~石見今福間もトンネルや橋りょう、鉄道用地の境界標などが点在している。

2008年には、土木学会が「未完成に終わった鉄道のコンクリートアーチ橋が一群として現存し、山間の景観に溶け込みながら、悲運な歴史を伝えている」として、旧線に残るコンクリートアーチ橋を選奨土木遺産に認定。これを機に地元でも今福線の研究が進み、観光資源としての活用も考えられるようになった。

シンポジウムでは、未成線研究の第一人者として知られる鉄道ライターの森口誠之さんと、岡山県倉敷市の玉島商工会議所で産業観光推進アドバイザーを務める赤澤雅弘さんが基調講演を実施。その後、島根県立大学の西藤真一准教授と、島根県技術士会の和田浩さん、沿線住民の石本恒夫さん、浜田市周辺の散策会「ふるさと歴史紀行の会」の下村明雄さんを加えたパネルディスカッションが行われた。

森口さんは、今福線の計画から中止に至るまでの経緯を解説。戦前に建設された旧線と戦後に建設された新線は、土木技術の変化もあって構造が大きく異なっており、「(戦前と戦後の鉄道施設を)両方見ることができるのが今福線の魅力」と語った。赤澤さんは、玉島地区で行っている産業観光ツアーの例を紹介。「地元の人にとっては観光施設とはいえない酒造や工場でも、これらを見学するツアーを組むことで観光ツアーが成立する。新たな観光施設を作る必要はない。そこにあるものを生かすことが必要」などと主張した。

旧線の工事が始まった頃は地元の小学生で、駅の予定地で遊んだ記憶があるという石本さんは、戦後のルート変更で自宅の近くを通らなくなったこともあって関心が薄れ、「自分は(今福線を)ばかにしていた」という。しかし、全国の廃線跡や未成線を紹介した書籍「鉄道廃線跡を歩く」(JTBパブリッシング)で今福線が取り上げられていたのを見て感動し、現地で今福線の遺構をガイドする「案内人」の活動もするようになったという。今後は後継者の育成に力を入れていきたいと話した。

父親が下府駅の駅長だったという浜田市の久保田章市市長はシンポジウム終了後、「今はスタートライン。今回のシンポジウムを今後につなげていきたい。市としてもできる限りのことをやっていく」と話し、今福線の観光活用に向け積極的に検討していく姿勢を示した。

未成線の遺構の観光活用としては、コンクリートアーチ橋の遺構を再整備して足湯を設置した大間線(青森県)や、路盤を公園扱いで舗装して遊覧車を走らせている岩日北線(山口県)、遊戯施設扱いで線路を敷き、トロッコ列車を走らせている油須原線(福岡県)などの例がある。

《草町義和》

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