三菱自動車は4月10日、自動車文化の祭典「オートモビルカウンシル2026」で歴代『パジェロ』を展示し、さらに社長自ら「新型クロスカントリーSUV」を年内に投入することを発表した。この新型がパジェロかどうかについては明言を避けたものの、同社を象徴する車種の復活に期待が寄せられている。
こうした発表に合わせて三菱は、公式サイト内「Mitsubishi Motors Stories」の中で、パジェロの歴史に関する連載コンテンツ「増岡浩と振り返る歴代『パジェロ』」を公開した。世界屈指の過酷なモータースポーツである「ダカールラリー」でパジェロのドライバーをつとめた増岡浩氏が当時のエピソードやパジェロの魅力を語っている。第一弾のテーマは初代パジェロだ。
ダカールラリーで12回の総合優勝。その強さの根底にあったのは、「極限の技術を一部のプロだけのものにしない」という開発思想だったという。
■1982年、富士スピードウェイでの衝撃
増岡浩氏
増岡氏がパジェロに初めて触れたのは1982年。富士スピードウェイに併設されたオフロードコースで、市販前の初代パジェロを試乗した。
当時、増岡氏が国内オフロードレースで駆っていたのは『三菱ジープJ58』だった。同じコース・同じ条件で乗り比べた結果、『パジェロ』は『三菱ジープ』のタイムを圧倒的な差で上回ったという。
「圧倒的に速かった。でも記憶に残っているのは速さそのものではありませんでした。悪路なのに、思った通りに動く。ハンドルを切れば、きちんと向きを変える。怖さがなかった。扱いやすいという点が、何より強く印象に残っています」と増岡氏は振り返る。
◆「作業用」から「日常の一台」へ
1980年代初頭、四輪駆動車は「作業用またはプロフェッショナルユース向けのヘビーデューティーな車両」という位置づけが一般的だった。悪路での強さは確かだが、高速道路では重さや操縦の煩雑さが課題となっていた。
三菱はパジェロでこの課題に正面から取り組んだ。本格的なラダーフレーム構造による堅牢性を維持しながら、フロントにダブルウィッシュボーン式独立懸架を採用してオンロードでの操縦安定性を確保。サスペンションシートの採用で快適性も向上させた。
エンジンは2.3リットルディーゼルと2.0リットルガソリンを搭載し、排気量4リットル超の大型エンジンが主流だった競合車と比べ、燃費と経済性でも時代の要求に応えた。
◆ダカールラリーが覆した「軟派」評価
1985年ダカールラリー総合優勝を果たした『パジェロ』初代パジェロは登場当初から「本格クロカン」として受け取られていたわけではなく、前後リジッド式の重厚なプロフェッショナル車両と比べ「軟派」とみる向きもあった。その評価を走りで覆す場として、ダカールラリーへの挑戦が始まった。
1983年に無改造クラス優勝、1984年に改造クラス優勝、そして1985年には総合優勝を達成。発売からわずか数年での快挙だった。
「東洋のメーカーがダカールラリーで勝つ。それは大きなインパクトだったと思います。でも私たちの感覚では、"やっと証明できた"という気持ちのほうが強かった」と増岡氏は語る。
「パジェロに乗れば勝てる」という評価が広まり、プライベートチームの参戦も急増。1980年代後半のダカールラリーには約300台が参戦し、そのうち三菱車はプライベートを含め約50台を占めるまでになった。
そして、ラリーでの実績はモータースポーツの世界にとどまらなかった。スキーやキャンプが週末の一般的な選択肢となる中、雪道や未舗装路を気軽に走れる一台として、パジェロは家族連れや女性ユーザーにも広がっていった---。
三菱パジェロ初代(1982年、オートモビルカウンシル2026)「Mitsubishi Motors Stories」では同連載意外にも、関連コンテンツとして増岡氏が解説する最新の四輪制御技術や、ラリーでの裏話などのほか、三菱車の開発陣が語る特別なコンテンツが多数公開されている。
■増岡浩と振り返る歴代『パジェロ』 “走れる四駆”から“操れる四駆”へ Part1 初代『パジェロ』
https://www.mitsubishi-motors.com/jp/newsroom/stories/pajero_history1/index.html




